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朝吹龍一朗の目・眼・芽

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2009.03.01
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カテゴリ:幽霊
第十三回

 ファンファーレの音源はいわゆるビューグルだった。音の方に歩いて行くと、ほどなく聖オーバーン教会が見えてきた。教会前の広場には騎馬隊が勢ぞろいしている。馬だけではない。飼い犬や、豚までいる。かわいいポニーに曳かれた小さな馬車にのった子供達もいる。なるほどこれが年に一度のサンチュベール(注:聖オーバーンのフランス語読み。念のため)のお祭りなのだろう。たどりつけそうにないほど高い蒼穹に、シュークリームのように褐色の雲が張り付いている。寒気が広場を覆い尽くしていて、馬1たちの吐く息はみな白い。ファンファーレの音はホルンのようにくるくると巻かれた楽器が出しているのだが、奏者たちは教会のほうを向いているがホルンの音の出る口、ホーンは広場を向いている。なるほど、オーケストラやブラスバンドで使われるホルンのホーンが後ろを向いている理由がわかった。自分たちは指揮者の方を向いたまま、音を後ろにいる参列者に向かって聞かせることができるのだ。

 森之宮はトランペット吹き、Buglerだった。学生時代の思い出が一瞬のうちに蘇り、不覚にも涙がこぼれてきた。

 やあ、Japonais!(ジャポネ。日本人)、泣くことはない。

 童話、いや、今ならテレビゲームのロールプレイングゲーム出てくると分類したほうが通りやすいかもしれない、ドワーフのような短躯小太りに白いあごひげのおじさんが声をかけてきた。

 きょうはサンチュベールの日だ。フランス語で言ってから、ちょっと待って、S'il vous plait attendez un petit! と言って、たどたどしい英語で説明してくれた。

 今日はChasseの日だ、ああ、Chasse! English! No! 森之宮が「Is it means Hunting?」と補足すると、そうだそうだ、ハンティングだ。サンチュベールはハンティングのsaint du protecteur(守護聖人)なのだ、と言った。狩人の守護聖人でもあり、野生動物や家畜の守護聖人でもあるのだという。

 しかし狩人と狩られる動物の両方の守護聖人というのも何となく釈然としない。ふと小学校の時に習ったピアノの練習曲を思い出した。森之宮は大学のオーケストラでトランペットを吹くまではずっとピアノを習っていたのだが、ブルクミュラーの25の練習曲の真ん中より少し前に出てくる、「狩り」という曲で、ハ長調のトニックが転回しながら始まる前奏に続いて軽快な長調と短調が交互に出てくる。その頃は狩りをする側とされる側の気持ちなのだろうと思いながら弾いていた。そういえば曲名の「狩り」の横に、La Chasse と書いてあって、習いたてのローマ字読みで「ラチャッセ」ってなんのことだろうと思ったこともついでに思い出し、なるほどもしかするとブルクミュラーはこの曲で狩りの守護聖人を表現したのかもしれないと考えた。

 考えながら、そしてドワーフおじさんの話もちゃんと聞きながら、目では一生懸命アンジェの姿を探していたのだが、なかなか見つからない。見つからないうちに、ミサを終えたらしい司教が表に出てきて、騎馬隊に向って何か説教が始まった。ドワーフおじさんが汗をかきかきしてくれた通訳によれば、今日は狩りはしないで動物たちに優しくしなさい、これから動物たち用のマナを配ります、とのことだった。見ていると、野球ボールくらいの大きさの少しやらわかめのフランスパンが聖職者たちの手から馬や犬や豚に配られ始めた。まだアンジェが見つからない。

 ぼんやり立っていた。
 大きくて真黒な塊が森之宮の前に出現した。仰ぎ見るとアンジェがいた。少し行きすぎて馬体を戻すと、夕方、ホテルに迎えに行きます、夕食を一緒に取りましょうと声をかけてきた。馬の大きな黒い目とアンジェの切れ長で青い目の両方が森之宮を見おろしている。馬の額にある大きな白い点がまるで星のように印象的で、アンジェは自信たっぷりに星を乗りこなしているのがよくわかる。

 星に乗った天使か。森之宮が急いでうなずくのを確認すると、Etoile(エトワール。星)、行こう、とアンジェが声をかけ、再び馬体を翻すと先頭で旗を持った少女に遅れないように追っいった。やっぱりあの馬は「星」号なんだ。森之宮は変に納得し、ついでに『貴婦人の乗馬』と訳されているブルクミュラーの練習曲の最後の曲を彷彿とさせる鮮やかな騎乗振りだと思った。次のソナチネに早く進みたくて、いい加減な仕上がりのまま先生に大甘の合格をもらった、いささかほろ苦い思い出のある曲だ。

 陳腐な表現に聞こえるかもしれないがあえて書けば、文字どおり嵐のような一団が去った後の大聖堂前広場は、食べ残しの丸く焼いたフランスパンと、よく似た色をしている馬の落し物で茶色くなっていた。においもしてくる。その落し物を避けることなくきれいなハイヒールでふんづけていく妙齢の女性が結構いるのに森之宮はちょっとだけ驚いた。

 あの一団は町じゅうを走り回ったらしく、石畳のそこここに茶色いものと蹄でひっかいた白い跡が残っている。都会育ちの森之宮には心の底からは共感できないものの、入社してからずっと過ごした工場のある地方都市なら中心部をほんの少し出外れればおなじみの臭いである。しかし見渡す限り石造りの街全体がなんとなく田舎の香水にまみれているにはさすがに違和感を禁じえない。逆に考えれば、それがこのN**市の田舎たるゆえんなのかもしれない。

 そんなことを考えながら旧市街の外側をめぐっている広めの道路に出ると、郊外と思しき方向から大きなトラックが荷台一杯に乾し草を積んで走ってきた。まだ市内で飼い葉が必要であるという証拠だ。そういえばアンジェの愛馬、エトワールはどこに飼われているのだろう。少なくともあの家には厩(うまや)はなかったけれど、同じように中庭を持った家にはもしかしたら馬が飼われているのかもしれない。

 最初に行った、市街中心部にある聖ヨハネ教会の隣に小奇麗なアンティークの店があり、その奥ではちょっとした昼食をとれるとのことで、サンドイッチと称するフランスパンにハムや野菜をはさんだものを食べた。これにコーヒーをつけても約200円である。あのホテルのディナーの値段を思い出していささかいまいましくなった。

 満ち足りた気分で、午後は学生時代に付き合っていた美大生に教えてもらっていたいくつかの博物館を回ったり午前中の大騒ぎでほとんど疲れてしまったかのような静かで美しい街並みをゆっくり散歩したりして、結局ホテル・シャトー・ド・N**に戻ったのは5時ごろだった。

 鍵を受け取って部屋に戻った途端、見透かしたようにちりんちりんと電話が鳴った。飛び上がってとりついた。

 アロー!

 アンジェの声が聞こえる。耳元で叫んでいるかのような近しい感じがした。今日はサンチュベールの祝日だから馬車で迎えに行くという。まだ雇いの馬車が健在なほどN**市は田舎なのです、パリでは考えられません、とアンジェが付け加えた。

                             (続く)

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Last updated  2009.03.01 13:02:20
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