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朝吹龍一朗の目・眼・芽

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2009.03.14
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カテゴリ:幽霊
第十四回

 ものの5分もしないうちに例のちりんちりんが聞こえた。アンジェがドアの外の紐を引いたのだ。ベージュのベールがついた黒い帽子をかぶり、黒くて毛先が鮮やかに光るふさふさした毛皮のロングコートの前をはだけ、同じように黒いシルクのワンピースを着たアンジェが立っている。胸元に光るのはダイヤだろうか。

 おととい同様、ククーッという鳩時計のまねをしたおどけたしぐさをしたが、左のほほが耳の方に引っ張られていて、顔が左右対称でないのにすぐ気がついた。森之宮のそんな観察がどこか顔に出たのかもしれない。アンジェは逆に森之宮に対して緊張していませんか、と真顔で言うとフロア全体に響き渡るほど大きな声であははは、と笑いだした。

 笑いながら森之宮の左の腕をとり、右手で背を押しながら出かけようとするので、急いで鍵を取りに戻り、マネークリップにさっき両替したベルギーフランの束がちゃんと挟まっているのを確認し、出発3日前に手元に届いたクレジットカードが財布に収まっているのもチェックした。ついでに、大急ぎで作ったこのカードも使ってみると結構便利なもので、ホテルのデポジットも要らないし、支払いも、当たり前だが本当にサイン、それも日本語の漢字のサインで済ますことができるのにいまさらながら驚いたのを思い出した。

 しかしそんなバカなことを話題にするのもはばかられるので、中学時代に生徒会長を争ったカール(佳有と書いてカールと読ませた。父親がボンの日本大使館に勤務している時に生まれたそうだ)というバレーボール部主将でもてもてだった男の口癖を思い出した。

「似合いのコートですね、素材は何ですか」こういうときはまずは服装を誉めて、たとえ知っていてもデザイナーやブランドを聞くものだ、というのがカールのアドバイスだった。
Il est la zibeline. 黒貂(くろてん)です、というアンジェのこたえはいささか素っ気ない。隙あらばVeuillez m'epouser(結婚して下さい)くらいは言ってやろうと思って、重くなるのを承知で持ってきた黄色い表紙の仏和辞典のJのあたりをみていると、アンジェは最後の方のページを開いた。Zで始まるフランス語の単語なんて滅多に目にしない。黒貂がzibelineであることがわかって辞書から顔をあげると同時に階段の最後の一段を踏み外した。

 いつの間にか森之宮の左腕にはアンジェの右腕がしっかり通っていて、すっこける小柄な男をやや大柄なしかし華奢な女性がかろうじて支えるという図柄になった。これで完全にアンジェの緊張はほどけたように見える。青いというより黒目が白く見える目が森之宮の間近に迫っていて、唇を合わせるより目と目を物理的にくっつけたい衝動にかられた。でもまだ自分は正気だと森之宮自身は思っている。

 フロントに鍵を置いて玄関を降りようとすると、七分丈のぴっちりした黒いズボンに白い五分袖のシャツ、それにこれも黒い前ボタンのベストをまとった御者が待っていた。黒光りする4輪の箱型の馬車である。曳いているのはたてがみの長い、白い馬で、膝のあたりにリングのように飾りを巻いていた。昼間見たアンジェのエトワールより一回りがっちりしていて、いかにも馬車曳き馬という感じがする。

 ほとんど音がしないくらい丁寧にドアを閉めると、前方に器用に回り込んだ御者が掛け声とともに御者台に飛び乗り、ぴしりという鞭の音が聞こえるより早く馬は走り出した。ちょうど耳の高さあたりに手品に使うような丸い金属製のリングが取りつけてあるのには乗ってすぐに気がついた。吊り輪のような役目なのだろう、カーブをゆるやかに切るたびに森之宮はそれにつかまることで不用意にアンジェの体に近づかないように気をつけていた。

「どうして昨日は声もかけてくれなかったのですか」森之宮の皮肉ともとれる問いかけにダイレクトには答えず、アンジェはどうしてさっきはホテルのフロントのすぐ横にいたのに声をかけてくれなかったのですかと言った。なんだ、気がつかなかった。電話の声が近かったのは当り前か。ホテルの内線電話だったのだ。それにしてはそのあとずいぶん待たされた。
「それならもっと早く来てくれればいいのに」
 アンジェの答えにはいつも何らかの謎がある。アンジェはLe temps pour voiture. 馬車の時間だと返してきた。こういうのはいかにフランス語会話ができても教養と機智がないと裏の意味まではわからない。素直に降参した。
 どういう意味?
 時間の流れが遅い、という意味です。
 なるほど、わざとゆっくり来たのですね。
 違います、数々の橋の下を水は流れるべきなのです。
 ああ、おばあさんから聞きました。フランス語の決まり文句。いろいろなことが起こるだろうってことですね。
 Grann(おばあ)と言いかけて、マダム・ロレーヌと言いなおした。マダム・ロレーヌとは何を話しましたか、私の病気ですか、家庭ですか、身の上ですか、それとも結婚相手ですか。アンジェは小声だが早口で言いたてる。
 馬車の立てる音はかなりのもので、馬の蹄のカツカツと言う音と鉄の輪がはまった車輪のごろがらからころという響きは自動車の騒音の数倍耳障りであり、かつ車内の会話を妨げる。アンジェの小声、それも気がつくとさっきから全部フランス語のやり取りになってしまっているのをかろうじて聞き分けて、森之宮が答えた。
「折り紙、千羽鶴の話をしました。折り紙をほどくとすべてがイリュージョンになってしまうそうです」

 さっきからわざとではないかと思うくらい遠回りしながら走っていた馬車が、ようやくM**川に架かる橋を越えようと急カーブを切った。二人の体が大きく揺れた。

 ばか。森之宮の手がリングをしっかりつかんでいるのに気がついたアンジェは突然そう言うと、体を翻して森之宮の手をつかんだ。顔と顔が異常接近している。アンジェの右手がリングをつかんでいた森之宮の左手を押さえ、左手は馬車のシートにだらしなく置かれていた森之宮の右手を取った。きょうは、狩りをしてはいけない日だと、司教様がおっしゃっていました、Kimiを狩るのはやめます、それともKimiがわたしを狩りますか、それとも、すでに狩られた獲物を食べますか。今はSauvage(ソバージュ、野生の)おいしい肉が手に入ります。ジビエと言います。

 そうだ、ジビエだ。もうこの緊張感には耐えられない。森之宮は血圧が上がって顔が真赤に充血し、心臓の鼓動はアンジェの耳に確実に届いていると確信できるほど大きな音を立てている。ソバージュって女性の髪型の名前かと思ったが、実は野性的という意味もあったのか、会社の事務の女性のなかにそんな髪型の人もいたが、あまり野性的な性格ではなかったような気もする、ズボンが不随意的に窮屈になってしまって位置を直したいのだが両方の手を拘束されていて身動きが取れない、いや、動きたくない。

 天使ににらまれた凡人だ、ちがう、天使に微笑まれた幸せな男だ、そうでもない、ほほえみのかげになにがあるかわからない、てんしといってもみかえるやせらふぃむではなくて、るしふぇるのなかまかもしれない、どっちでもいいしあわせなきぶんだアンジェ、Je vous aime!(ジュブゼム。あなたがすき)

 Mais non!(どうして)アンジェがいきなり身を離して強い口調で言った。


                             (続く)


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Last updated  2009.03.14 11:48:11
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