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朝吹龍一朗の目・眼・芽

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2009.04.12
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カテゴリ:幽霊
第十六回

 9時少しすぎたくらいにホテルに戻ることができた。明朝は8時半の列車でM**市まで、ベルギーからルクセンブルグを越えてフランス領まで行かねばならない。俺たちに明日はない、ってとこか。タクシーの中では、Veuillez m'epouser(結婚して下さい)なんてとても言えなかったから、これからアンジェが帰ると言い出すまでが勝負。

 赤ワイン1本と、例の『天使の誘惑(La tentation d'un ange)』をグラスに1杯しか飲んでいないから、森之宮としてはやや飲み足りないところだ。幸いまだ半分くらい残っているブランデーを、あまり色気はないが仕方なく洗面にある変哲ないコップに注いで二人で飲むことにした。

「取り敢えず(Tout d'abord)、乾杯!」
 森之宮のしぐさがあまりにぎこちなかったのだろうか、アンジェがいきなり笑いだした。Kimi、Daijobu(大丈夫)、Ne tu inquietes pas!(心配しないで)、わたしはここにいるから、KimiはKimiだし、アンジェはアンジェだから。

 そう言いながらグラスから一口、すすると、にっこり笑っておいしい、とささやく。父親の助言が再び生きた。フランスでだって、いや、ここはベルギーだが、カミュのナポレオンは高級だ。
 次の瞬間、アンジェはまるで石ころか何かを放り込むようにグラスに残った液体を口の中に投げ込むと、窓際にある丸テーブルに音もなくグラスを置いた。

「君のグラスがまだ欲しいってささやいているよ」
 取っておきのセリフ、夕べから、いや、もっと前から考えていた気取ったたセリフをせっかくつぶやいたのだが、アンジェはそれを全く無視して、ロップス(Rops)の美術館はどうだったかと聞いてきた。仕方なく森之宮は話題を合わせた。

「衝撃的でした。特別展で『Arbre(木)』についてのRops以外の小品も集めていました。とても日本では展示できないような、オトナの見るものでしたね、セクシャルで」
 私も、見た(Je Vu)。私、いたでしょう? アンジェの頬に酒のせいではない朱味が差した。
「ああ、あの画、私も見ました。そう、アンジェに似ていた。まじまじと見てしまった」
 アンジェは、わたしは恥ずかしくて見られなかった、Kimiは私の本物をまじまじと見たいのでしょう、と言う。森之宮もその絵を思い出してちょっと恥ずかしい気分に襲われた。

 仕方がないので左隣に並んで座っているアンジェから目を離して正面の窓を見る。目に入ったテーブルに乗っているアンジェの空のコップにブランデーを注ぎ足そうとベッドを離れ、窓際に歩み寄った。

 Kimi、狩人ではありませんね、獲物はここ。

 すぐ後ろに音もなく近づいたアンジェが立っていた。音もなく、ドレスも、脱いでいた。

 下着を外した胸は予想外に豊かで、森之宮の掌では覆いつくせない。先端に待ち受けている部分はしかし森之宮が高校時代に農業実習で作った小豆のように小ぶりで、口に含むとかすかに甘い香りがした。
 C'est bon, ou pas? (おいしい? そうでもない?) かすれた声でアンジェがつぶやく。
「もちろん、おいしい」
何度も繰り返し言う。ゆっくりとアンジェを押しながらベッドまでたどり着く。小豆をくわえたまま腰のあたりに右腕を回して持ち上げ、そっと降ろす。アエロフロートのスチュワーデス、ローザさんにもらったファーストクラスのアメニティのスリッパを片方ずつ脱ぎながら体をアンジェの上にかぶせていく。スチームが前提なので冬でも薄手の毛布しかかかっていない寝台を少しずつ後ずさりする。唇だけでアンジェに接しているので、空いている両手で毛布をはいでいける。やがてお目当ての三叉路にたどりつく。

 Vu?(見た?)
 Oui!(ウィ)
 アンジェが手をのばして照明を落とした。ベッドサイドランプだけの薄明りが残った。


 彼女は初めてだった。


 スチーム暖房のせいで部屋はやや乾燥気味だが、火照った体にはちょうどいい。薄手の毛布を二人でシェアしつつ上半身ははだけている。仰向けのアンジェの首の下では森之宮の左腕が枕代わりになっている。右手は持ち重りのする乳房の上だ。時々思い出したように痛そうな顔をする。天井を見つめているように見える。相変わらずライトはベッドの横だけで、それも行燈のようなほの暗さだ。

 私はアンジェ。カトリック。普遍。どこにでもいます。ゆっくりとアンジェが言った。いや、おまえ(Tu)の名前はアンジェだし、心の優しさはアンジェ(天使)のそれと同じだけれど、お前はお前、いま、ここにだけいる。私の、腕の中にだけ、いる。そうなのですね、そう、でもどうしてKimiは私の心がわかるのでしょうか。ときどき私の心を読んだりあやつったりする人がいるのだけれど、そういうのは私の病気のせいだとおばあさんや医者は言うのだけれど、Kimiの場合は微妙に違っていて、サイエンスのことや歴史のことは私が考える前からわかっているのに、私がKimiを好きだということはぜんぜんわからないみたいで、私はKimiが理解できなくて、私とKimiは違うらしくて、なんだか私は、私は。

 痛みのせいなのか、それとも本心からなのか、ちょっとわざとらしい明るい調子でアンジェがつぶやく。黙って聞いている森之宮。

 なんだか私は私みたいなのです。へんですよね、変ですか?
 もうだれも私の噂話をしていないみたいだし、テレビで私が笑いものになっていることもないみたい。ダランベールさん、ホテルの支配人の人、あの人はいつも私のアイデアを盗んだり私の思っていることを先回りしてクリスティアンやルネや、他のコックさんやギャルソンに言いふらすのですが、今日はそんなことはないみたいだし。

 統合失調症(その当時は精神分裂病と呼ばれた)が治るなどということがあるはずはない。少し症状が軽くなったりするのかもしれないと考えていた。でも弾むように話すアンジェを見るのはすごくうれしい。たとえ症状が重くなることがあるとしても、自分が支えてあげられるのではないか、支えてあげたい、と思っている。森之宮には、まるで二人が結婚するのが既成事実のように思えてくる。

 帰したくなかったが、いつの間にかあしたになっていた。アンジェは勝手知ったように部屋から外線でタクシーを呼ぶ。一緒に送って行こうかという申し出はあっさり断られ、代わりに真っ白な毛の塊のようなものを渡された。いつも身につけているタリスマン(お守り)だという。
 ジビエ、ですよ。アンジェが笑いながら言う。
 白い野兎、珍しいのです、その前足です、子供の時から持っています、願い事をするとき、その指を一本折るのです。もうこれまでに2本、折ってしまいました、昨日、もう一本、折りました、おかげでKimiに愛してもらえました、Kimiに残っているのはだからあと2つだけです。

 アンジェはここで言葉を切った。

 そのうえ、もうひとつ、最後の1本を折ると、その望みは確かに叶うのですが、願った人にはそのかわり、悪いことが起きるとされています、たとえば事故が起きるとか、罪をかぶるとか、あるいは死んでしまうとか、だから、実質あと一つだけなんですけれど、それでも、Kimiにこれをあげます。

 天使の贈り物ですね。
 もらったことを誰かに言ったらこのお守り、消えてしまいますよ。
 そんな、妖精の贈り物でもあるまいし。天使の贈り物も妖精と同じなのでしょうか。
 試しますか?
 やめておきます、決して人には言いません。

 こんな会話をしながら身づくろいをすると、二人でロビーまで降りて行った。5分も待たずに夕べホテルに戻ってきたのと同じタクシーが来た。
 あした、Dejeuner(お弁当)を作るから駅の入口で8時頃待っていてくださいと言い残してアンジェが去って行った。

 部屋に戻り、とうとう『結婚して下さい』は言えなかったけれど、考えてみればこのホテルで初めて、満ち足りた眠りにつくことができた。

                                (続く)
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Last updated  2009.04.12 13:40:57
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