カテゴリ:連載小説
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「桜」 カズヒロがそう言って指差す方を見ると、たしかにその木には薄いピンク色をした花が何輪か咲いていた。 「ホント、桜だー。こっちではもう咲き始めてるんだね」 私とカズヒロは寄り添って桜の木を見上げた。自然と笑顔になった。 それは一昨年の春のことだった。私とカズヒロは、車で私の実家に向かっていた。 途中で休憩を取ろうと寄った湖のほとりにある駐車場で、私たちはその年最初の桜を見つけたのだった。 「よし、写真とろう。カズヒロ、そっちに立って」 湖のほとりにある咲き始めの桜の木の下に、カズヒロは立った。 「こんな感じ?」 「うん、オッケー。それで、今ここで撮った写真を誰かが見た時に、『この人は、この写真を撮った人のことを本当に愛しているんだなー』ってわかるような顔をして」 「そんな、無茶な」 そう言ってカズヒロが困ったような笑顔を見せた瞬間、私はカメラのシャッターを切った。 私ができもしない、あるいは曖昧すぎてどうしていいかわからないわがままを言うたびに、彼は困った顔をして笑った。そして私は、カズヒロのその顔が好きだった。 何とか私の願いを叶えてあげたいっていう、困った顔。その顔が見たくて、私はたわいもないわがままを繰り返したりしていた。 「もう撮ったのかよ」 「うん。良い写真撮れた」 「なんだよそれー」 そんな風に、二人で笑いあった。 「なに笑ってるの?」 運転席でハンドルを握るカズヒロが、助手席の私をチラリと見て言った。私は、ふふっと笑って答えた。 「なんか、カズヒロが緊張してるのが可笑しくて」 休憩を終えて車の運転を始めてから、カズヒロは私に何度も同じことを聞いてきた。なんて挨拶をしたらいいかなとか、私のお父さんがカズヒロのことをどう思っているだろうかとか。 私の実家に近づくごとに、カズヒロは徐々に緊張してきている。 カズヒロがそんな風に緊張しているのが面白くて、私は思わずにやけてしまったのだ。 「ドラマとかコントのシーンみたいだよね。スーツ着て彼女の親に結婚を認めてもらいに行くのって。……実際に生で見るの初めてだから、ちょっと楽しみだなー」 「お前、なんでそんな一歩引いて見てるんだよー。二人のことだろ」 「別に私は緊張しないもん。両親に結婚するって言ったとき喜んでたし、カズヒロが嫌われるってこともないだろうし」 「……本当に大丈夫かなー、俺」 「あはは。大丈夫だって。リラーックス、リラーックス……」 車の中で私たちは、そんな話をしていた。 私は、彼が両親に「サヤカさんと結婚させてください」とか言って頭を下げるところを想像して楽しんでいた。 それは、突然の出来事だった。 カーブの多い峠道を走っていたときに、対向車線からトラックがはみ出してきた。 急ハンドルをきってタイヤと地面がこすれる音が響き、やけに眩しいトラックのヘッドライトが視界を埋めた。 その瞬間は、何が起こっているのかなんて理解できなかった。そして、危ないと思う間もなく、大きな衝撃……。 何がなんだかわからなかった。 ただ、衝撃が収まってからふと隣を見た私は、すぐに救急車を呼ばなくてはと、それだけを思っていた。 その後のことはあまり良く覚えていない。ただ、はっきりと思い出せる場面が一つある。 私の両親とカズヒロが初めて対面した場面だ。 カズヒロが横になっているベッドのそばで、私はイスに座ってぼんやりとしていた。 病院の廊下からバタバタと足音が聞こえてきて、そして、勢いよく病室のドアが開かれる。私が振り向くと、そこには私の両親が立っていた。 「……サヤカ」 お父さんが、私の名前を呼んだ。苦しそうな声だった。 私はイスから立ち上がり、カズヒロの顔にかかっている白い布を持ち上げた。 カズヒロの顔を両親に見てもらうために。 そして、私は言った。 「紹介します。彼がカズヒロさんです」と。 今、私の部屋のベッドサイドには、彼の、カズヒロ写真が飾ってある。 湖と桜を背景に、彼が困ったような苦笑いを浮かべている。事故にあうほんの数時間前に撮った写真だ。 カズヒロの困った顔が上手く撮れていて、その写真が、私の一番気に入っているカズヒロの写真になった。 彼の姿を収めた、最後の写真が。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年05月16日 19時28分14秒
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