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カテゴリ:心理学 メンタル 悩み、読書
読レポ第2045 カール・ロジャーズ ~カウセリングの原点~ 著:諸富祥彦 第6章 1955年ロジャーズとジャンドリン 1955年のロジャーズとジャンドリン(1/6) ロジャーズとジャンドリン、そして、チーム・ロジャーズにとって決定的な瞬間が、1995年に訪れる。田中(2018)を読んで知ったのであるが、この同じ年にきわめて重要な論文が3つ、書かれている。 ①ロジャーズ、最も公式的な論文「セラピィ・パーソナリティ及び対人関係の理論」の元論文を学内紀要で公刊(1955年) ロジャーズの生涯で最も有名な論文、「治療的人格変化の必要十分条件」(Rogers,1957a)の元論文(Rogers,1956a)が、1957年の学会誌での掲載に先だって、学内紀要論文として刊行されている。一般的には、1957年の論文「治療的人格変化の十分条件」( Rogers,1957a)が有名であり、その内容を含んだより完成された1959年の論文「クライアント中心療法の枠組みにおいて発展したセラピィ、パーソナリティ及び対人関係の理論」(Rogeras,1959)がロジャーズ理論の一応の完成体とみなされている。しかし実際には後者が先に書かれており、この論文の元論文が、まず学内紀要として、1955年に刊行されている(Rogers,1955)「必要十分条件」論文の元論文(Rogers,1956a)はその翌年、1956年に学内紀要として公刊されているのである。 53歳、学者としても心理療法家としても、全盛期にあったロジャーズ。その周りには、慕って集まってきた若き優秀な研究者や臨床家がたくさんいた。その中の一人が、当時29歳のジェンドリンである。そんな環境のなか、ロジャーズがみずからの公式見解となる理論をいったん完成させ、学内紀要において公刊したのである。当然ながら、この刺激的な環境は、そこに集まっていた多くの研究者を刺激し、思考を活性化させていくことになる。 と著者は述べています。ロジャースの中で最も有名な論文「セラピィ・パーソナリティ及び対人関係の理論」などは、ロジャーズを慕って集まってきた多様な若き優秀な研究者や臨床家などの刺激によって活性化した論文であるようだ。 私は、このロジャーズは、若き優秀な研究者や臨床家などとの対話によって、ロジャーズ自身の中で生まれて来た論文だと思う。相手を否定せず肯定的に受容したロジャーズの対話の力を改めて感じる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.04.16 18:35:02
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