3507031 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

遊心六中記

遊心六中記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

茲愉有人

茲愉有人

Calendar

Category

Comments

Archives

Favorite Blog

まだ登録されていません
2022.07.18
XML
カテゴリ:探訪

6月下旬、会期の終わるほんの少し前に、「ポンペイ展」を予約して見に出かけました。
京阪電車の三条駅を出てから、岡崎公園にある京都京セラ美術館までの往路をまずご紹介します。普段美術館に行く時とは少し経路を替えて見ました。
通常は川端通から仁王門通を経由して美術館に向かいます。今回は二条通まで北上してから美術館に行くことにしました。入場時刻が設定されているので、あまり早く着いても仕方がないので・・・・。それと、たまには違う経路も気づくことがあるかもしれないし・・・・ということで。

冒頭の標識は、三条大橋から北へ1つめの御池大橋の東詰北側に立つ標識です。
その下部には、鴨川に架かる上流の橋名並びに橋間の距離が明示されています
左下の草の葉に接するように見える赤丸の小さな点が現在位置です。
二条通には二条大橋が架かっています。二条大橋までは0.2K、つまり200mです。
 
           鴨川沿いの遊歩道を北へ
 
    
         
御池大橋と二条通大橋間の景色、対岸を眺めます。
対岸側には鴨川の中に堤防があります。その西側が「みそそぎ川」です。
対岸沿いに立つ多くの民家には、みそそぎ川の上に、納涼床が架設されています。
 
​二条大橋の中程で、下流方向を眺めた景色です。
二条大橋の往復は、美術館に行くという目的からは反対方向の寄り道になります。
 
             みそそぎ川  
 
二条大橋西詰、南側には「二条大橋」の銘板が嵌め込まれています。
 
              北東方向に、東山連峰を眺めた景色です。

 北側には「鴨川」の銘板
 
 
       上流側 みそそぎ川と鴨川本流
 
鴨川左岸(東側)の遊歩道その東には琵琶湖疏水が鴨川と平行に流れています。
 二条大橋東詰 遊歩道の傍に

二条通の一筋北、冷泉(れいぜい)通の地点が、琵琶湖疏水が東西方向から南へ転じる箇所になります。
この地点から三条大橋までは琵琶湖疏水が見えます。三条大橋から南は団栗橋の少し南まで暗渠になってしまいます。
鴨川に添って流れる琵琶湖疏水は「鴨川運河」とも称されます。(資料1)

川端通を横断して、二条通を東に進みます。
          
 
二条通と東大路通の交差点「東山二条」の南東角の築地塀妙傳寺です。
御所の方角に向かって立つ銅像は日蓮上人像です。
築地塀は交差点の角地ですが角切りがしてあり、その前が庭園になっています。
これは初めてみた景色です。いつごろ作庭されたのでしょう・・・・。

時間のゆとりがあるので、久しぶりに立ち寄ってみました。
以前にご紹介していますので、できるだけ画像等が重複しないように心がけます。
 
表門は東大路通に西面しています。「日蓮上人御分骨之道場」碑が建てられています。
 上掲碑と門との間に、初回の探訪で気づかなかった石標
維新七卿 四條隆謌(たかうた)卿之墓」と刻されています。
幕末の動乱期、尊攘派公卿の一人として活動し、「七卿落ち」と称される事件に関わった一人です。夫妻の墓がこの寺にあるそうです。

「1886年8月18日の政変で、公武合体派に敗れて失脚した、尊攘急進派の公卿三条実美・三条西季知・四条隆謌・東久世道禧・壬生基修・錦小路頼徳・沢宣嘉が、京都を脱出して長州藩へ逃れた事件。翌年、再挙を図って『蛤御門の変』が起こった。」(『大辞林』三省堂)
 表門を境内から撮った景色

        降棟の鬼瓦。そのそばに桃を象った留蓋が見えます。

 本堂
​山号は法鏡山​。1477年(文明9)に日意(身延山12世)が、豪商・薬屋妙善の帰依を受け、当初一条尻切屋町に創建しました。日蓮の舎利を分骨して関西身延山と称したそうです。寺地の移転を重ね、1708年の宝永の大火後に現在地に移ったと言います。
本尊は勧進様式曼荼羅です。  (資料2,3)

  
向拝の中央、龍を彫刻した蟇股と南側の象の前部を丸彫りにした木鼻
  
はこれも蟇股のバリエーションと言えるのでしょうか。かなり意匠化されています。
右は組物(斗栱)の形の見映えがいいですね。
 
本堂の桟唐戸には、連子に取り付けられた五七桐紋が光っています。
  
向拝の屋根からの雨受けの大壺。金色釉の部分懸けは遊びこころか・・・・。
右斜め後の石灯籠の竿は神前灯籠の竿の形式です。その趣向がおもしろい。
 
本堂の北隣りには鐘楼があります。鐘楼の形が独特です。
    
装飾の少ないシンプルで小ぶりな梵鐘が架かっています。
鐘楼の下半分は四方に開口部があり漆喰で固められ、龍宮門の下部に似た形式です。(資料4)
形式として一番近いのが滋賀県にある石山寺の鐘楼です。

 
鐘楼の北側には、正面に「高祖舎利」と記された扁額を掲げたお堂(廟堂)があります。
  向拝の木鼻
                   

 
正面階段の右側に「仏足石」の石板が奉納されています。

「佛所遊履 國邑丘聚、靡不蒙化。天下和順、日月清明、風雨以時、災厲不起。國豐民安。兵戈無用。崇德興仁、務修禮讓。」と、偈が上部に刻まれています。
「仏説無量寿経」の一節のようです。

(仏の遊履したまうところの国邑丘聚、化を蒙らざるはなし。天下和順し日月清明にして、風雨時をもってし災厲起こらず。国豊かに民安し。兵戈用いることなし。徳を崇め仁を興し、務礼譲を修す)(資料5)



表門を出て、二条通に戻り、東に進みます。

つづく

参照資料
1) ​鴨川運河​  :「日本遺産 琵琶湖疏水」
2)『京都府の歴史散歩 中』 京都府歴史遺産研究会編  山川出版社 p8
3) ​妙伝寺​ :「京都」
4)  ​門紀行:龍宮門​ :「山聲」
5) ​ p.078 仏説無量寿経巻下​ :「真宗大谷派」

補遺
西身延 本山 妙傳寺
本山 妙傳寺開山 円教院日意聖人について​ :「青年僧侶のシャカリキ奮闘記」
身延山​  :ウィキペディア
身延山久遠寺​  ホームページ
仏足石​  :「コトバンク」
石山寺鐘楼​  :「石山寺」

  ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

探訪 京都 三条から京都市京セラ美術館へ -2 二条橋、みやこめっせ、各種モニュメントほか へ

こちらもご覧いただけるとうれしいです。
探訪 京都・左京 新洞学区内の寺院 -3 野風呂の句碑、旧武徳殿、妙伝寺、聞名寺 へ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2022.07.19 09:33:27
コメント(2) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.