図書館戦争
『図書館戦争』 有川浩 メディアワークス, 2006レポートにもかかわる内容だから、なんて言い訳して一気読み。図書館は、学校の延長機関ではなく、また家庭のしつけの代行機関でもありません。もちろん、教育の一助となることを否定するものではありませんが、開放された多様な図書の中から子供たちが自由に本を選択できる環境を提供することが自立への支援になると考えています。そして何より、娯楽作品との距離の取り方は保護者が指導するべきものです。その責任を学校や図書館に求めることは、保護者としての責任を放棄していることになるのではありませんか? (本文 p262 子どもの健全育成を掲げて図書館の選書を規制しようと主張する保護者団体の主張に対する、稲嶺氏の台詞)それは、そのまま今の教育のあり方にぶつかってくる。子どもを守るということは、子どもに生きていく力をつけるということはどういうことなのだろう?今の子どもたちは、昔の子どもたちよりも「幼い」と中学校の先生方が口を揃えて言う。危険からは遠ざけてもらえる、良いことだけをたくさん目の前に広げてもらい、悩みがあればあたたかい助言があり、躓きから立ち直るのを待っていてもらえる。誰もひとりぼっちにさせておかない。ああ、子ども時代は居心地がいいのかもしれない。良いことも、悪いことも含めて世の中のあり方をそのまま提示して、その中で「よいもの」を自分の判断で選び取る力をつけさせることが教育ではないのか?ぢつは、教育とは規制でも指導でもなく、こうあって欲しいと願う大人と成長していく子どもとの真剣勝負の対話の過程ではないのか?「あたたかく見守る」ことは「甘やかす」こととは違う。ついつい「子どもを守る」「健全育成」という言葉の中に逃げ込んでしまう、自分自身に指を突きつけられる一文。・・・もちろん、この台詞は「図書館のあり方」という文脈の中で述べられているのであって「教育の話」がメインというわけではない。ここだけを抜粋しては誤解を生じてしまうのだが、ちと心に響いたので勝手に自分の文脈で抜粋、スミマセン。