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あたふたあなくろクロニクル

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2009.02.16
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カテゴリ:一応正当日記風

「お父さんのお墓参り行ってこようかと思って」と母が言うので、一緒に行くことにした。

 私もそろそろ行こうと思っていたのだ。
 父の誕生日は2月15日、昔の人でほんとによかったねお父さん、と言うべきバレンタインデー翌日である。父の孫(男)が3月3日ひな祭りに生まれたというのも何かのご縁かもしれぬ。

 母はこの間すっ転んだばかりだから、さてはしばらくお墓参りしてないからお父さんが怒ったと思ったんでしょー、と言おうかと思ったが、冗談が通じそうもないのでやめておいた。

 実のところ、母が転んだ場所というのは父が最初に大量吐血したとき蹲った場所とほとんど同じだった。一瞬私の中でもあのときとかぶったのである。あのときの情景とあの血は思い出したくない(が忘れようもない)。

 さらに実のところ、去年あたりから母の方が私より真面目に墓参りに行っている。結構意外。そして私は親不孝もんである。だけどお父さんたぶん、気にしてないよね、と思う。親の心、子知らず。

 バスが少ないのだ。それも墓参サボリの理由の一つである。今度こそ自転車で挑戦してみようと思う。今日は帰りにToshiヨガ(トシヨリ、みたいな響きですね。すみません先生)に寄るつもりなので、途中まで私はチャリで行く。

 さらに今回は途中でランチしてからお墓に参る。前々から行ってみたかったところなのだが、半端な場所なので機会がなかった。そこがちょうどうちと墓地の中間地点あたりなのだ。
「どういうもの食べんで?」と母。発音は表記しにくいのだが、「食べるの?」という意味である。茨城の方言であります。関西人ならまだわかるが、少なからぬ割合で県民、特に若い県民が引き剥がそうとしている方言を、この人は頑として直そうとしない。しかも20数年しかいなかったのに、通勤族の父についてあっちこっち動いた土地の方言は少しも身につかず、ひたすらに生まれ故郷の方言を守りつづける。ある意味えらい。(一時はよく「イバラギ県じゃなくてイバラキだ」と主張していたが、それは県民の皆さんがそう発音しているのである)。

「気取ったとこじゃやだなと思って」
 ・・・大丈夫です、あなたと”気取ったとこ”には行きません。(ちなみにいま母が恐れているお出かけは、3月の銀座。姉妹で行くのだが、母の妹たちは”気取ったとこ”大好きである。母だけが異色。不思議だ。)

 アクセスがいいとは言えない場所なのに、12時前からレストランは結構混んでいた。ほとんど若い奥さまたち。一人だけ女性連れの若い男性。というより女性に連れてこられた若者。やはり女性というのは、おいしい情報には聡い。

「同じものでいい」と言うので、メイン同じで母がご飯、私がパンにする。
ご飯はお味噌汁またはスープつき、お代わり自由、お茶自由。自分で好きに取りに行く。・・・ということをお店の人が説明して去っていったあと、「お母さん取りに行ってくれば」と言うと、「自分で取りに行くの」と言う。いま、そう言われたんですけど。

「ぺらぺら早くて、何言ってんだかわかんなかった」

 たいていこのパターンである。
 本人の名誉のために言うと、呆けてる訳ではない(今のところは)。ただ、耳がついていかない。電話で姉と喋ったあとも、たいていこのせりふ(↑)である。
「xxx(私の名前だ)のは出てくんのけ」(この「け」も茨城弁。言ってみれば疑問詞の接尾辞ってとこである。横須賀の人も「け」を使うと知ったときにはびっくりしたが、こちらは接続詞。「したっけ、~」とよく使われる。”そしたらさ、”みたいな感じ。とはいえ女性が使うのは聞いたことなく、こちらも廃れる方向かもしれない)

「そう、私のは出てくんの。とってきてあげようか?」
「じゃとってきて」と言うので席を立つ。
お。”玄米ごはん”と”変わりご飯”が選べる。変わりご飯の方は炊き込み御飯。おいしそう。母もこっちの方が好きであろう。ゴマもかける。お味噌汁はけんちん。これもおいしそう。だが、母は妙に味噌の塩分を気にして(血圧が高いから、というのだ)、一日お味噌汁は一食しか食べないので、そちらはやめてスープにした。

 するとスープには気をそそられない様子である。
「・・・食べていいわ」と私に言う。はいどうも、いただきます。「じゃあけんちん食べる?」(実は私も味見をしたい)
往復してるうちにメイン登場。ささみのフライを取り巻く野菜。白い大きな平皿にきれいに並んでいる。「あらよくまあ一つずつ並べたんだこと」と母。プレートに載ったカップの中には大根とにんじんの金平風。なめこが少々。 こういう、いろんなものがちょっとずつ、大好きである。
 母はいちいち「これは里芋? 里芋に衣つけて揚げたのかね」(どう見てもそうとしか思えないです、はい)。「これ皮も食べるもんなの」(ジャガイモの皮に抵抗)「これはゴボウだね」(ゴボウだよ!)「これもお芋だ」(そうなのだ、ジャガイモ、里芋、サツマイモ、全部ちょっとずつあったのです。こういうの好き)。
 ささみについての感想。「ずいぶん柔らかいんだこと(マリネしてあるそうだ)。年寄りにいいわ」 
 金平のカップだけ残った。「食べるけ?(しつこいが、方言です)」 - 「食べないの?」-「ちょっと油っぽくて」(これで油っぽいと言われたらお店の方には気の毒である、とは思う)。 はい、いただきます。 炊き込みご飯も味見させてもらったので、私としてはずいぶんお得なランチになった。とっても満足。

 満腹してお墓に向かう。高台にあり緑も多いので、結構気持いいところである。これでもうちょい楽に来れたらと思うのだが。
 市営墓地で、お墓は抽選。うちのご近所の方は数回外れてあきらめたという。ところがうちは一発で当たった。さすがお父さんだということになった。変なところで籤運がいいのである(ひな祭り生まれの彼の孫は完全に、驚くほど、籤運がいい。二人とも余計なところで運を使っていると言われている)。

 今日は暖かくて風もないのでお墓参り日和である。お線香もつけやすい。
ランチの時間より早く墓参り終了。「xxさんとこ行ってきたら。ここにいるから」と母。

 で、私は一人でもう一か所お参り。実はここに友達もいるのだ。このところあまり一緒に来られないが、前はいつもその友達の妹さんと”墓参りツアー”をやっていた。まず友達のところに来て、それから友達のご両親、最後にうちの父のところに寄る。いつも車で連れていってもらうので、私はご両親のお墓の場所をいつになっても覚えられない。父の墓は方向音痴には最高の場所、入口からすぐの区域である。この辺も籤運に恵まれているのだ。

 友達のお墓は屋根がある。これは何かと便利。ご両親や父は昔ながらの吹きさらしタイプで一軒家だが、友達は屋根の下でご近所と軒を並べている。かえってこの方がいい感じもする。雨風の心配がないから、写真をおいてあるお墓も多く、さらにいつ来ても花盛り。

 彼女のお墓にも写真が飾られている。いちばん下の子と映っている写真。彼女がなくなったとき、この子はまだ小学校にあがる前だった。

 このお墓には小さなノートも置いてある。お参りに来た人がひと言書いていくためのノート。ちょうど前日にだんな様が来ていた。あいかわらず几帳面な字。 今年は子供たちの上二人が受験。そのことに触れつつ、息子のことを彼女に報告していた。

 5年になる。もう5年。まだ5年。子供たちは成長していく。写真の中の彼女はずっと年をとらない。私たちはどんどん老けてくよ。

「一緒に長生きしましょうねー」と妹さんはよく言う。彼女はお母さんも早く亡くしている。友達は早すぎた。二人の分まで「細く長く」生きなきゃ、と彼女は言う。

 彼女の病気がわかったのは父の吐血からそう離れていない時期だったと思う。父は無事退院し、手術後の彼女も不思議なくらい元気だった。あとから考えれば、推理小説の結末から見るようにすべてきれいに当てはまる。あの時点で、すでに遅かったのだ。

・・・ん。ひとり語りがやばくなってきたのでやめましょう。まだあの前後のことは、書くと情緒過多になりそうである。父のほうも別の意味でまだ、どー、とか出てきそうだ。

 だがとにかく、子供の頃からの友達をこれほど早く亡くした経験、さらにその病状の経過をかなり近くで見た経験というのは、私には初めてだった。身近な人の死は影響する。身近な死が私のその後の暴走に拍車をかけたのである。はい。え、死んだ人のせいにするなと。

 でもせっかくだからこの際お願いしたい。特に子供がいる人にはお願いしたい。

 癌検診、受けてください。

 友達は乳癌だった。主婦はあれこれ忙しく、診療時間に間に合わなかったーと延ばし延ばしにしていたことが一番の原因だったとも言えるのだ。

 公共広告じゃないけど、早期発見なら治るのです。私みたいなのは別にまあ死んじゃってもさほど問題はないのだが(でも痛いのはいや~、モルヒネください)、家族のある人はやはりいけない。いけないよほんとに。ああいうのは、もう嫌です。

 何だか今回、妙なモードにはまったままになってしまいましたね。やっぱ夜はいけない。ともあれお墓参りのあとは延々バスを待ち、そして私は途中でおりてToshi先生のヨガで元気になりました。先生の話までいけなかったが、それはまた次回。


 

 

 

 

 

 

 

 

 






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Last updated  2009.02.23 21:31:30
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