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カテゴリ:八面六臂星人
みなさま。 種田陽平さん 講演会とサイン会 は、 10月18日日曜日でございます。 土曜日ではございません。 お詫びして訂正いたします。 10月17日土曜日に新宿ブックファーストにお並びになっても、ワタクシは責任は負いません。 再告知ついでに、 種田さん話でちょっと思い出した。 テレビね、「わたしが子供だったころ」、種田さんの回を、あなたは見ましたか。 ―はい、わたしは見ました。 とにかく、見ていて、私は天才と自分との共通点を発見した ひとつは転校生だったこと・・・ それに似た感覚・・ 孤立感めいたものを、天才もかつて持っていたのであった。見方を変えれば、天才なら持っていても長じて芽を出す元になるが、凡才が持っているとただの悲しい記憶なのだった。 (ついでだが、だからね、現在学校で不安におびえていたり緊張してたりする子がいたら、ここで絶望してはいけません。あと数年の我慢です。さらにその先十数年辛抱してごらん、じゅうぶん面の皮も張ってくる) ただ、私は自己紹介の練習を前日にした覚えはまったくない。その辺もまた、長じて映画の舞台となるものを設計する人との違いがすでに見えているのであった。 ま、とにかく。転校経験者は日本に数え切れないほどいるだろうが、私が美術監督とのあいだに見つけた共通点はまだあるのだ。それは ・・・ 人形遊び。 種田さんの場合は”フィギュア”というべきかもしれない。 その継続期間の長さです。 かなり長じた子供になるまで人形で遊んでいた。 同じです。 ストーリーを作っていた。 そうなのです。 つまり、お人形を物語の主人公に仕立てて遊んでいたわけです。 冬になっておこたが出ると、コタツ布団はいい舞台装置になったりしたのでした。 ところで、人形遊びをしつつ、私は漫画も描いていた。ストーリー漫画であった。ここも共通するのである。すごいではないか。ただし私の”ストーリー”漫画とは、当然のごとくルパンのもじりであり、永遠にラストシーンが訪れなかった(今こうしてだらだら書くのはいわば三つ子の魂といえる)。ついでに言うと中学時代、友人と交換日記ならぬ「交換小説」をやって遊んでいたが、相手がきちっとまとめようとするところを私がまたばらばらにするため、これも永遠に未完に終わった。私としては謎があちこちにばら撒かれて最後に見事にまとまる、というのを目指していたのだが、あまりにばら撒きすぎて何がなんだかわからなくなる・・・ 今もここでそれをやっている気がする。 気づいたので引き戻して、 しかしここでふと思う。 どこで違ってくるのだ? 似たようなことをしていても、その先は見事に違うわけである。 思えばおふたりは二次元から三次元に進んでいったわけだが、その辺に鍵があるのか。 遊びから先に進めなかった者と、さらに世界を進めていった者との違い。 ―それは興味深い問題でありますが、別にそれを追及するのが本編(”編”かいっ)の主眼ではないため勝手にきります。 先に進んで花開いた人の場合、内気な子供の過去は現在につながる美談だが、 ところで最初に戻りますが、「わたしが子供だったころ」はかなりきちんと取材もし、本人にお話も聞いて、再現ドラマもがんばって作られていたが、 そう言う方のために10月18日がある。 まあ、転校初日の教室に入るときみたいに、 大丈夫です、私がいるから。 ・・・嘘です。 ―ここで問題。 上の文章で筆者が意図するものに最も近いのはどちらか。 1) 私が(会場に)いる、というのは、嘘である。 中学一年の国語のテストより難しいぞ。
・・・だめかな?
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Last updated
2009.10.11 18:23:11
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