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カテゴリ:旅(国内)
何と!縁あって佐賀県まで出張。
このままオメオメまっすぐ帰ってくるわけにもいかん!! ということで・・今回は熊本に出向いてみることにしました~☆ で、このタイトル。わかる人にはわっかるかな~。 細川家と言えば・・歴代の熊本城主。 関が原の戦いの功あって、 細川忠興(細川ガラシャの夫、と言った方がわかりやすい・・?)が 福岡県の小倉城に入った後、徳川幕府の命で途中から熊本へ。 そのあたりの話はまたのちほど。 で・・仕事を終えた後、佐賀でレンタカーを借り、一路熊本城へ・・ と思ったけれど・・ふと地図を見ると『田原坂』(たばるざか)の文字。 何か聞いたことあるなぁ~、なんだっけ・・・ま、ちと立ち寄ってみますか。 おお!そうか、そうか。西南の役の激戦地でしたね・・。 明治10年におきた、新政府と士族(元武士)の戦い。 西南の役と言えば、西郷隆盛、と言えば鹿児島。 ではなぜ、ここ熊本の田原坂が激戦地に??! ここで、細川さん登場。細川さんちの熊本城が、九州の鎮台府として 薩摩藩を監視する明治政府の拠点になっていたそうで。 で、西郷軍と政府軍がこのあたりで激しく対立したそうです。 ↑ 当時とあまり変わらないと思われる、まさに激戦地の今の風景。 敵味方の鉄砲の弾が空中でぶつかってお互いの弾がひしゃげた現物も展示 官軍、西郷軍それぞれの墓地なども近くにひっそりと残っています↓ まわりの山あいの風景が、いかにも当時と変わらず・・といった風情なものですから・・ 本当は、政府軍と戦いたくなかったという西郷さんの気持ちはいかばかりだったか。 こんな犠牲の上に、明治以降の近代国家日本の形ができたんですね。 ☆☆☆~☆ アトリエ3C+U建築設計事務所 代表 岡部千里 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.04.24 10:05:48
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