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テーマ:たわごと(26874)
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きょうの鎌倉の海は、荒れて、サーフィンを楽しむ人たちには、ちょうどいい高い波がおきていた。
自然の近くに、住むと、自然の動きに、必要以上に敏感になる。 これほどの波がきていることは、都会に住んでいるとわからない。 鎌倉の稲村ガ崎は、新田義貞が鎌倉に攻め入る時に、 海に宝剣を投げ入れると潮が引き、軍勢を一気に鎌倉方へ進めることができたという伝説の土地である。 これは、新田義貞が、地元の漁師から、引き潮の時間を聞いて、弱気な兵士たちを鼓舞するために、図った策とも、言われている。 新田の兵士たちは、もともと山に住んでいたので、潮の満ちひきを知らないので、海が引いていくのを見て、さぞ、驚いたに違いない。 古代、卑弥呼は、殺されたと、松本清張や井沢元彦は、本の中で書いている。 それは、たぶん、真実だと私も思っている。 「不徳のいたすところ。」 という言葉がある。 「人間にとって、もっとも大切なのは徳であり、徳が充分であれば、すべてがうまくいく。」という考えだ。 この考えは5千年以上もまえからある。 「災異思想。」 これは、「人間の行為の善悪に応じて、自然が災害や変異をもたらすという中国の思想。 中国では、古くから自然と人間、すなわち天と人とのあいだには、内面的な結びつきがあるとする思想があったが、これが進んで、人間の行為が自然現象に影響を与えるという、 いわゆる天人相関の思想を生むにいたった。」(世界大百科事典) 「天人相関説」 中国の思想で、天と人との間、すなわち、自然現象との人事の間に、因果関係の存在を主張する。 さらに具体的にいえば、君主の政治の善悪が自然界の吉祥や災異を招くとする説である。」 (世界大百科事典) つまり、卑弥呼の行いは、自然界を含めた、すべてのことに影響を与えるというのだ。 卑弥呼が死んだ年に、紀元248年9月5日。 日本では、日食がおこったのだ。 邪馬台国は、狗奴国との戦争に敗れる。 そして、日食もおきる。 古代人は、天災も、飢饉も、疫病もすべて王者の責任となる。 祭祀者としての、霊力の衰えが、敗戦を招いたのだ。 霊力を失った卑弥呼は、人々によって、殺される。 鎌倉のスターバックスで、そんな本を読んでいて、 帰ろうとすると、急に、大雨が降り出してきた。いままで、晴れていたのに・・。 しかたなく、ずぶ濡れになりながら、自転車をこいで家に帰った。 これも、きっと、日頃の私の行いがいけないからに違いない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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