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夜中に起きて、本を読んだり、ブログを書いたりしているとき、
視界にアーモンドなどのナッツ類があると、つい、口にしてしまう。 夜中に、ものを食べるのは、悪いこととは知りながら、 懸命に背徳と戦ってみるものの、精神は欲望のまえに屈服してしまう。 欲望をコントロールするというのは、難しい。 中村うさぎは、いったい、どこまで行ってしまうのか。 ブランドの物欲から、ホスト狂いや自己への性欲、最近は整形美容にはまっているようだ。 ストイックな家庭に生まれた彼女が、漫画が当たり、印税が入ったあたりから、狂乱の日々がはじまったようだが・・。 欲望のストッパーは壊れてしまった。 あれもやりたい。これもやりたいってことか・・。 そう、人のことを心配しながら、アーモンドナッツは、口に運ばれる。 ヨットで世界を横断した堀江謙一氏に、 長い航海のあいだ、女性のことを考えて困りませんかというマスコミが質問をしていたことがある。 堀江氏は、おもしろいもので、海にでて、女性が視界から消えると、ほとんど考えなくなる。 陸が現れ、女性を見た瞬間に、そういう欲望は生まれる、 というようなことを言っていた。 なるほど、私のアーモンドナッツは視界に入るまでは、そういう欲望が、私の内部にも起きなかった。 視界が、欲望を刺激する。つまり、視界に入る広告は、すべて欲望だ。 そう考えながら、自己肯定して、アーモンドナッツを口に運ぶ。 誰の書いた「欲望論」だったろうか、 竹田青嗣か、それとも、ルネ・ラジールあたりだったと思う。 欲望には、さまざまなものがあるが、物欲や性欲より、やっかいなものとして、 人を支配する欲望というのをあげていた。 そのなかには、組織での人間関係、恋愛関係や、家族関係についても、欲望として分析していた。 上司が部下を支配する行動をとる。 夫が、妻や子が、思いどおりいかないことに腹を立てる。 このように、人間が、人間を思いどおりに動くことを望むこと、 これも欲望のひとつということなのか・・・・。 納得して、アーモンドナッツを一粒、口にする。 そういえば、 マズローの欲求充足説(欲求段階説)というのがあった。 人間の欲望は5段階くらいにわけて、それを登っていく。 どういうものかというと、 人間は、まず、生理的欲求・安全の欲求 として、人間が生きる上での衣食住等の根源的な欲求を求める。 つまり何か、空腹で食べたい、どこかに住みたいというものだ。 つぎに、 親和(所属愛)の欲求 がおきる。 他人と関わりたい、他者と同じようにしたいなどの集団帰属の欲求というものだ。 学校に行きたい、どこかの集団に属したいということか。 それから、自我(自尊)の欲求がはじまる。 自分が集団から価値ある存在と認められ、尊敬されることを求める認知欲求だ。 つまり、ちょっと、ちょっと、私って、皆より、すごいでしょと言うことか。 そして、最後に自己実現の欲求 。 自分の能力・可能性を発揮して、創造的活動や自己の成長を図りたいと思う欲求が起きるというわけだ。 自己実現、これは難しい。満足することなんてない。 ここは、どこ? 私は誰? もっと、私はクリエイテイブな仕事がしたいのよ。 なるほど・・・。 こうして、アーモンドナッツは、止まることも、 そして、否定されることもなく、口に運ばれるのでありました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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