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カテゴリ:風林火山
昨日は昼から名古屋に行く予定でした。
荷物も色々増えて電車では大変なので私が運転して行く事にしました。 走り出せばどうにかなるだろうと思って、荷物を詰めて出発しました。 主人はもう1つはっきりしない状態でしたが、それでも着替えて行く気になって車に乗ってくれました。 相変わらず遅い朝で、昼はサービスエリアで休憩して径管栄養を入れればいいや、と思って、私の分は色々残り物もあるので小さい重箱に詰め込んで用意万端と出かけました。 高速に入って、長いトンネルを抜けた時、「あ!大事なものを忘れてきた。」と気が付きました。 そうあれです。命の次に大事なもの。 胃ろう用のチューブとイルリガートル(径管栄養を入れるビニールの袋でチューブとつないで使う専用の道具) あれが無いとお昼もままならず、お姉さんの家に行っても食事は限られているので飢え死にしちゃう所でした。 仕方なく一旦高速を降りてユーターンして一区間だけなので又高速で戻りました。 家についてお腹もすいてしまったので、お父さんには又横になってもらって、胃ろうの径管栄養を入れ、その間に私は一人でお弁当を広げます。 終わってどうするか聞くと、首を横に振るので、もう今日はいくのやめ。 それから又夜の為に薪の準備をする。細い焚き付けが終わってしまったので現場からもらってきて置いてある廃材を少しづつカットする。 マルノコを出して足元で板を抑えてスイッチを入れる。 何枚かは切れたが、マルノコがパチッといって火花が見える。 それからもうスイッチが入らなくなる。 アー壊れた! 仕方がないので手でのこぎりを引く。 一晩分とりあえず作り、夕方になったので家に入る。切っているそばからお父さんが起き出して、ストーヴを炊き始めてくれたので家の中は暖かい。 一時ほどの寒さは無いが昼間の太陽の暖かさと暗くなってくると急に寒くなるこの温度差がこたえるのだ。 さすがに疲れて夕寝をする。一時間ほど休み家の中を片付ける。 お父さんはそのまま夜まで寝てしまった。それでも夜中の1時ごろ又起きて、相変わらずプリンのヨーグルトかけを食べて、又寝てしまう。 私は目が冴えて色々やっていたら4時近くになってしまった。 息子からも電話があり、私の体を心配してくれている。持つべきものは子供か。 今日はそんなで2人で疲れが出たらしく午前中は寝てしまい、お父さんは全く一日中寝ていた。起き出したのはやっとこもう夜の10時近くやっと起きて来て、又少し食べたがるので又ゼリーのヨーグルトかけを食べる。 そして又すぐ寝てしまう。しかししばらくすると又起きて来てまだ物足りなそうで、お昼に作った散らし寿司があったのでそれを見せると食べたいという。 やはりご飯は咽てしまうので無理なのでミキサーにかける。 少し固めのミキサーにしたので、粒が少し残っていたせいでやはりむせている。 もう一度お湯で増やしてスープ状にするとやっと食べられる?飲み込める? 噛む事と飲み込む事の使い分けがうまく出来なくなってしまっているのだろうか。嚥下障害とは面倒な症状である。 少し食べて?飲んで?又横になってしまう。 退院してから家の仕事(薪を運んだり、ストーヴを焚き付けたり)が次々にあり疲れたようだ。 病院にいる時は安全を前提にするせいで少し過保護状態で、しかもほとんどベッドの中にいるしかないので体力は弱ってしまったかもしれない。 特に今回は療養棟だったのでリハビリも思ったほどやってもらえなかった。 回復棟は脳卒中などの後遺症の患者さんが多く訓練も厳しいと聞いていた。 お父さんの病気は急ぐ必要も無く、かといって寝ていると体力が落ちる、オンオフがあって昼間の時間帯は寝ていて、夜中に起き出す、たまたま昼間起きられる時だけリハビリをする、といった状態だったので仕方がなかったかもしれない。 家に居ると気ままに深夜だろうが、明け方だろうが自分の好きな時間に起きて好きな時間に眠ればよいのだから、その方が良いのだろう。 話しは最後になったが川中島古戦場は地面の中には数万といわれる遺体が埋まっていると言われている。 次回風林火山は川中島の合戦だ。 上杉謙信のイメージがガクトで少し変った。どんな人物だったか、興味深い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007/12/03 01:40:09 AM
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