このところ主人の様子は一日おきに好い日とダメな日が交互に来ている感じです。
オフかなと思われる日でも、時間によってはオンになる時間もあり、オン・オフが短い時間で繰り返される様子が増えています。
私の指がまだ痛いので先日火曜日はヘルパーさんは来てくれない日でしたが、寝ている主人に午後のトイレタイムが落着いている時間帯に、「指がまだ痛いのでちょっと見てもらいに行って来るけどいいかな?」と声掛けをしました。一応指会話でギュッと握ってくれたので、オーケーと判断し、最短時間で行って来ようと出かけました。
先生は「痛いのはまだしばらく在っても仕方ないね。指先が敏感になっているからね。膿んだりはしてないから大丈夫ですよ。」と言われ私の指をぎゅうぎゅうと押しました。私は思わず「痛い!」と叫んでしまいました。でもこのままお薬をつけて様子を見ることで余り心配しなくて良いと少し安心して、帰りは少し買い物もして帰宅しました。この間1時間でした。
主人は特に変化なく出かけた時と同じ状況でベンチに寝ていました。
ホッとしました。案外1時間ぐらいは一人でも大丈夫かな?以前は寝てばかりいる時は2時間位一人で置いていた事もあったのでしたが、よく動くようになってからの方が転ぶ危険性が高くなったので心配になったのでしたが、、、。
昨日のNHKのクローズアップ現代でも取り上げられていましたが、私は9月10日の新聞で
宮城県の大川小学校の避難状況を写真と図解の一面の記事で知っては居たのですが、改めて保護者の方々や、津波がそこまで来ていると言うのにまだ校庭に居る児童達の姿を目撃していた近所の方の証言などを聞き、一体学校はどういう判断をしてしまったのだろう、と一層重い気持ちになりました。
避難場所となっていたことで高齢者の方も一緒だったことがネックになったのかもしれませんが、もっと高台に避難してさえ居れば全員助かったかもしれない、結果論ですが、あまりにも大勢の児童や先生も含め犠牲が大きすぎて悲観にくれるお父さんお母さん達の顔が苦しくて辛い時間でした。
同じ近くの小学校は皆高台に避難していたので全員助かっていると言うのに大川小学校だけが悲劇の舞台になってしまった、という余りにも悲惨な結果に日本中が、いや世界中が悔しい気持ちになります。新盆の日、お母さん達は「今子供達は皆ここに来ているよね。」と言いながら泣いておられました。
私もテレビを見ながら、そして今こうしてこの記事を書きながら泣いています。
今回の震災と津波被害、そして原発被害、世界中の悲惨なテロ、戦争等にも比べる事は出来ないにせよ自然が相手だったとはいえこの大川小学校の犠牲はどうにかする事は出来なかったのだろうかと、口惜しくてならない。