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テーマ:在宅介護(1573)
カテゴリ:パーキンソン病
主人のパーキンソン症状が悪化したのが今から7年前の平成16年の春でした。
それまで飲んでいた薬の量たるや今から思い返すと恐ろしい量を毎日飲んでいた、ということが解かります。当時の主治医はパーキンソン病と診断された平成9年から通っていた信大の先生でした。 信大の方では薬を変えてみたり、合間に脳の淡蒼球凝固手術という淡蒼球というところを熱で細胞を凝固、死滅させる事で、震えや姿勢反射異常、ジスキネジア(不随意運動)に有効とされる、症状の改善がなされたのは平成10年の頃だったと思います。 それでも結果的には薬の種類は増え、試薬としての新しい薬の服用も含めて5種類ほどの薬をしかも量的にもだんだん増えていきました。 平成11年頃、私の母が腰を痛めてしまってから母の家に家族で通ったり、私は一日おきに母の家に泊まったりでたが、いよいよ一人でおいて置けない状態になり我家に引き取り2年半ほど介護をしてましたが、平成14年の夏、私の手の中でエコノミー症候群で逝ってしまいました。 その後ぐらいから主人が少し言っていることがおかしなことを言い始めていました。私はパーキンソン病は命にかかわる病気ではないと聞いていたので、信大に通うのに、一人で運転がしづらくなってきた主人に代わって運転して月一回の定期健診に行っていたが余り病状については心配しないでいた。 その頃色々な本を主人が買って読んでいた中に、「パーキンソン病を治す本」という安保徹先生と、水嶋丈雄先生、池田国義先生の三人の共著である本に私もめぐり合った。水嶋先生はわが地元で、水嶋クリニックを開業されていたので通うことができる範囲の処だったこともあり、受診してみた。先生は漢方を取り入れた治療をされていて、漢方薬を処方してくださったり、針治療をしてくださった。 信大から出されている薬とは漢方薬は競合しないということで、併用して飲んでいた。針治療も近くの治療院を紹介してくださって毎週そこへ行って針治療ができるようにしてくださった。針治療を受けると体が楽になる、と主人も言っていたのでそこへ通うのにも一緒に付いて行っていた。 それでも平成16年にはやはりそれまで飲み続けていた薬の副作用がでてしまったらしく、結果的にパニック症候群になってしまったのだった。自分で運転をして話す事が訳の解からない内容で、私は助手席に座ってびくびくだった。 自分の状態を知っている正常な時間と、パニック状態になる妄想状態とが交互にやってくる症状だったのかもしれない。今度は私と離婚したい、などと言い出したり、本人もかなり混乱している状態が続いていた。離婚して自分は名古屋に帰り姉さんと一緒に暮らす、と言い出して、今度は自分で運転して又出かけたのだった。 そしてその帰りに薬を飲んだ後、居眠り運転になったらしく三月の雪道で高速道路を下りた一般道でのろのろ運転だったのが幸いしたものの,反対車線に入り道路際のりんごの木に車をぶつけて車はエアーバックが飛び出すほど強い衝撃でぶつけてしまう。 そしてその後レンタカーを車のメーカーさんから借りて病院に行き、私の運転で家路に着いたのだった。怪我もしていないくて無事だったのが救いだった。そしてその後は再度又名古屋へ行こうと企てる主人であった。 今度はトラックを運転して出かけることになる。車をぶつけたことで運転は懲りたかと思いきやまだ運転するエネルギーは残っていたらしく、山の中の道をなぜか選び青木峠を超えて安曇野に出る。以前は神戸から来たばかりの頃は豊科に住んでいたのだ。 私の従姉の家に行く。そこの家のキッチンセットを一式主人の仕事でやらせていただいたのだ。着くと従姉はご主人も一緒か出かけていて、娘さんが一人で居たのだが彼女を相手にやはり訳の解からない話を始めてしまう。何かに追われているから逃げるんだ、と言ったような話をしている。 そしてトラックをその家の庭に置かせていただき(庭が広いから許されたものの)娘さんに塩尻の駅まで送っていただき、電車に乗って名古屋に行く。電車の中では無言のまま、中央線の普通列車に乗ったので春日井の駅で無言のまま突然立ち上がって降りる。私にとっては知らない駅だったので不安になってしまう。 実は2番目のお姉さんの住んでいる駅だったのだ。駅からの路がわからず電話をする。迎えに来てくださる。夜は実家のある名古屋まで上のお姉さんがタクシーで連れて行ってくださった。 その時もお姉さん達から少し変だ、と言われ、まだその頃はお元気だった主人のお父さんにも「言ってることがおかしいよ」と言われていた。その時は下のお姉さんと奈良県にある永源寺というお寺に行き、そこで主人はさめざめと泣き始めた。 何故自分がこんな病気に取り付かれてしまったのか、悔しかったに違いない。 そして名古屋から帰って来て、家に着いた時ラジオのボリュームを上げたことで私が「何してるの!」と怒ったことがきっかけで寝室に閉じこもってしまった。 後で知った事だったが間違えて小さくする積りが大きくしてしまったのだそうだ。 それで鍵を中から閉めてしまい、運悪く鍵は外に出してなかった為外から開けることが出来ない。その上「来たら石油に火をつけるぞ」と言って部屋の中で石油のにおいがし始めたのだった。今度は私がパニックになってしまい消防署へ電話をかけ来てもらう。消防署の方に説得してもらい部屋から出てきた主人を連れて地元の病院へ行く事にする。 それから薬を一旦止め、今に至るのです。入院した次の日はまだ妄想状態が続き警察に電話をして自分が捕まえられてしまっている、という様な電話を公衆電話でかけたりしたらしい。私は色々な事があって本当に疲れきってしまった。約一ヶ月私は病院で寝泊りし主人の病室で不思議な蜜月を過ごしたのでした。
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最終更新日
2011/10/23 10:22:55 PM
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