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2015/01/17
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私達一家も、10年間神戸に住んでいました。
私も神戸市内の街中の古い明治時代のレンガ造りの建物の中にある設計事務所にお勤めしていました。
女性3人のメンバーの一人として、地元の仕事をお手伝いさせていただいておりました。

住まいは須磨区北須磨団地というところでしたが、この事務所は三宮駅からだったと思いますが、歩いて5分ぐらいだったかな。古い街並みが残る素敵な街でレンガ造りの建物は愛着のある建物でした。

下の子が生まれた(1981年)次の年に信州の方へ越してきてしまいました。

この地震が起きた年の春休みだったか夏休みだったか忘れてしまいましたが、下の子を連れて主人は神戸に行き震災の後の悲惨な状態を見てきたのでした。私は仕事もあったり、当時犬も飼っていた事もあり行きませんでした。
特に写真など主人は撮ってきませんでした。そしてどうだったか等自分の口からほとんどしゃべりませんでした。
今考えてみると、写真を撮ること自体は好きな主人でしたのに、全く一枚も撮らずに帰ってきたというのは、余りに悲惨な情景にカメラを向ける気になれなかったのかもしれません。

その年の12月に主人は今の病気を発病したのでした。

当時主人は家具の職人として沢山の仕事をさせてもらっていました。地元のパチンコ屋さんの景品展示用の棚やカウンターなどをやらせてもらっていたのですが、本人は取り付けに夢中だったようで自覚症状はなかったようです。
後で聞いたのですが、その会社の担当の方から「獏(我が家の商号)さん、足引きずってるけどどうしたの?」と聞かれたそうです。しかし本人は「そうですか」と答えただけだったとか。

年が明けて仕事が一段落したら、自分でも体の調子がおかしいと思えてきたようでした。そして当時やはり仕事をさせてもらっていたペンションをしているお宅の御主人に相談したら、東京まで一緒に行って紹介して下さるという事でそのご主人が通っておられたマッサージ師の所に通う様になっていたのでした。

そのペンションには木で造ったキッチンセットを納めさせてもらったのです。奥さんが元スチュワーデスでだったので、海外のキッチンが木製の物があるという事で写真集など見せて下さったのでした。その写真集を参考にして、主人は図面をお越し、又資料を調べる目的や展示場を見に行く事もあっての東京行でもあったのでした。

その後我が家もログハウスを造ったのでそこに同じく木製のキッチンセットを据え付けました。
こちらがその時の今でも使っているキッチンセットと食器棚です。
我が家のキッチンその1

我が家のキッチンその2

我が家のキッチンその3
我が家のキッチンその4

その後私の上の兄(医者)に話したら「一度自分の病院へ連れてこい」と云われもう体の動きもかなり悪くなって来ていた平成9年の春でした。最初は兄の病院でも頸椎症ではないかと言われましたが、それでもと再度紹介された九段坂病院の神経内科にかかり始めてパーキンソン病という病名が出てきたのでした。

それからは地元の信州大学に通いお薬を出していただきましたら、まるで治ったように元気になり仕事も続けられるようになっていたのです。しかし!平成15年ごろから少しづつ妄想的な言動が増えてきてしまい、お薬の副作用が顕著に表れるようになったのでした。
そして平成16年の春、主人の実家の名古屋に行き帰りに雪降りの為高速を降ろされ、一般道を運転中に何故か反対車線を横切りリンゴ畑に突っ込みリンゴの木にぶつかって車は大破。初めてエアーバッグを体験したのでした。

代車を依頼して今度は私が運転して帰宅しました。帰宅したその日の様子もおかしい状態でしたので、地元の病院へ連れて行き事情を話しました。それから即入院が始まったのでした。しばらく薬を止めて、様子見の後薬を減らし体は動きにくい状態のまま自宅療養が始まったのでした。

それから毎日私の主人の介護生活が始まりました。
翌年には女性建築士会のお仲間に「らいてうの家」の設計依頼が舞い込み我が家に皆さん集まって下さって依頼主の先生方も皆さん来て下さり、実設計は手分けして、構造設計から意匠設計、詳細図と皆さんの協力の元出来上がりました。私は現場管理を担当して毎週現場に通いました。
「らいてうの家プロジェクト」
無事に引き渡す事が出来ました。今でも皆さんに大事に使っていただいています。

昨日は看護師さんヘルパーさんに入っていただき、体を拭いたり、浣腸をしていただきました。足の裏に低温やけどが見つかりそれも治療しています。どうやら湯たんぽのお湯が少し熱過ぎたようで、もっとタオルなどでしっかりくるんであげないといけなかったようです。
体を拭いてもらいました
足の裏に低温やけどをしました 

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最終更新日  2015/01/17 06:16:56 PM
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