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テーマ:今日の出来事(287586)
カテゴリ:今日の出来事
21日夕方5時半にお寺さんが来て下さって、お経を挙げてもらいました。
この和尚さんが実は偶然とは言え、私の中学の時の同級生だったのです。 6時からお通夜が始まりました。兄達や、甥や姪、従姉たちなど大勢の親族が集まってくれました。遠くから来て下さった方々は地元のホテルに泊まっての出席で、大変だけれどありがたい事だと思い、感謝で一杯でした。 次男は亡くなった日の朝から来てくれていましたが、長男もアメリカから帰って来てくれました。 兄弟二人で庭の草刈りから、家の中の片付け、お通夜に使えるように、色々なものが置きっぱなしになって、積み上げ状態だった物を、二人の判断で時々私に「これ使ってる?」と確認しながらどんどんゴミが増えていき、ごみの集積場所に運ばれて行きました。 それでもまだ下の部屋は、お客さんが来るので、スペースは出来るだけ広く開けなければならないので、時に二階に運び入れて、一階の部屋はかなりすっきりと片付きました。 主人の作った、大テーブルも久しぶりに片付いて、お通夜に来て下さった親族の皆さんが座ってお話しすることも出来ました。 その日の夜は葬儀会社の方で用意してくれたお寿司をいただきました。 22日は朝から着付けをしてもらいました。喪服の着物も19日に次男と一緒に実家へ取りに行きました。主人がお世話になった方々に電話やメールで出来るだけお知らせをしました。お通夜に来れない方、告別式に来れない方、そのどちらにも来れない方は早めの日に来て下さったり、連日ご無沙汰している方々が、入れ代わり立ち代わり来て下さいました。 主人の穏やかな静かな顔を見て「いいお顔していらっしゃいますね」と皆さん言って下さいました。 私も眠っていましたが、主人も眠る様に逝ってしまいました。 22日午前早い時間に親族と、ご近所の方々も来て下さって、斎場への出棺のお見送りをしていただきました。大星斎場に10時前に着き、親族は斎場で1時間半ほどお茶菓子など頂きながら待っていました。そしてすっかり骨になってしまった主人の「お骨上げ」をしました。余りにあっけなくて、空しさと、不思議な気持ちが入りまじり、哀しいというより、生きること死ぬことはいったい何なのだろう、と心の拠り所が消えてしまったようで、頭の中がボーとしてしまっています。 マイクロバスで告別式の会場「東御愛昇殿」へ向かいました。 午後1時に導師(お寺さん)が会場に来られ、告別式、葬儀が始まりました。導師のお経が始まりました。お経を聞きながら、据えられた祭壇にお焼香を一人ひとりして、故人とのお別れをしました。最後に、故人をしのぶ言葉、そして命が亡くなった後仏の傍に行く事が出来るというお話等聞かせていただき、2時半すぎて3時近くなってやっと終わりました。 お斎が始まりました。 喪主である長男から御礼の言葉をしてもらい、親族である次男と私はお斎の席に着いていただいた皆様にまず、お酌をして回りました。 斎場でのおやつタイムからかなり時間が経っていたのでお腹が空いていて、長男は「まずは食べなくちゃね」と言って自分の席に着いて食べ始めました。私も一回りしてからお食事をいただきました。遠くから来ておられる方もいるので早々帰られる方もいて、告別式の会場に飾られていたお花を花束にしたものをお持ち帰りいただく為に私も御礼の御挨拶をしたりと、余りゆっくりも食べていられないまま帰る時間になりました。 お骨になってしまった主人を長男が持ち、私はお位牌を持ち、次男は写真を持って又マイクロバスに乗り、主人の二人のお姉さん達家族や親族を駅まで送ったりしながら家路に着きました。主人のすぐ上のお姉さん親子は我が家のすぐ傍の大田区休養村に宿を取っていたので、娘さんの車で一緒に来ました。 家に着くと何時もベッドが置いてあったところも主人の作った畳ベッドに戻して置いたので、写真とお位牌を置き、蝋燭と御線香入れをありあわせの箱の中に据え付けました。そして私はやっと窮屈な着物から解放されました。何時もの普段着に着替え、一休みしました。 遅いお昼だったのでそのままお姉さん親子が泊まっている大田区休養村まで息子二人と歩いて行きました。そしてお姉さん達と温泉に入り、御姉さん達の泊まるお部屋で缶ビールを飲みました。お斎の残り物や、おつまみを持ってお姉さんと、子供達は従兄妹同士という事もあり、話が弾んで自販機でビールを買い足しながら施設の施錠時間ぎりぎりまで飲んでおしゃべりして、11時過ぎに又歩いて帰ってきました。 主人のおかげでと言ってはなんですが、普段めったに会えない人に会う事が出来楽しい時間を持つ事が出来、感謝感謝です。 この続きはフェイスブックの方に載せておきますね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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