テーマ:障害児と生きる日常(4433)
カテゴリ:1年以上前をふりかえっての日記
前回書いた「市教委との話合い」をしているうちにも、小学校への「体験入学」は毎月参加していた。うちの子もふくめて、新1年生が「自閉トリオ」になるということもあって、同時に3人いるとどういう感じなのか…とかいろいろとやってくれていた。
心強かったのは、特学の先生の方は「春に当然3人ともいる」こととして計画してくれていたことだ。嫌がっていたのは行政だけで、現場の方ではすっかりOK…だからこそ、こちらもがんばれたのである。校長先生も最初はかなり乗り気だったが、市教委とはもめたくないようなので、ちょっとテンションが下がっていった(笑)。 そんなある日の体験入学(1月下旬?)は、ほぼ最終決定の会…ということもあって、大変な人の数だった。いきなり会議室で6人くらいの背広組の大人と面接。「場の変化に弱いので、ちょっと…」と前フリはしておいたが、前半は何とかその部屋に入っていられた。「背広の大人に囲まれるなんてこういう感じは慣れていないし、これは私だって緊張しますよ。前もって言っていただければ本人に伝えたのに」と冗談交じりのイヤミもかましておいた。 出た条件はこのあたりである。 1 送り迎えは家庭の責任でやること 2 入学当初、親が学校に来て待機する。慣れるまでの1ヶ月くらい、補助する。様子によっては補助の期間の延長もありうる。 3 行事などで状況に応じて親が補助に入る。 1・3についてはこちらでも「できる」と言ってきたことなのでOK。 2については、今までこちらから「人を雇って欲しい」または「こちらで用意してもいい」から専門家を…とお願いしてきたことだ。 しかし、向こうはあくまでも「親にお願いしたい」とのことで譲らない。 なぜかは…教員としての予測だが、「親がやっている」ことには学校の責任にならないが、「他の人がやっている」ことにはたとえ親が用意した人にしても学校側や市教委の責任が生じるからである。ようは責任逃れもあったり、あるいは「前例を作りたくない」という気持ちがあってのことなのだろうから、これは変えるのは無理そうである。 でもここで、私が怒って、つい言ったことばが… 「この1ヶ月という期間、私が補助をやるとなれば、その期間からして、来年度の1年間の講師の仕事を逃すことになります。これは収入的に痛いことです。さらに親がついても何の利益も生みませんが、もしこれを教師志望の若者にやってもらえば、その人を育てることにもなるし、教育界の雇用を生みます。そちらがイヤなら、私が講師で稼ぐ収入を、Sの補助の方に流してもかまいません。そうすれば、教育関係で二人分の雇用と経験が生まれます。私が自分の子の世話を学校でしても、何にもなりませんが、ここに集まっている方々は、こういうことを考えるべき立場のみなさんなのではないのですか?」 なんだか話が大きくなりすぎたし、空気が張りつめてきたので、最後は笑わそうと思ったのもあって、冗談交じりに 「ここで、私の1年間の仕事を奪うのは…… 『教育界の損失ですよ』…」 妻は思わず「ブーッ」と吹き出していたが、どうも他のみなさんは「まじめ」に受け取ったようで、言ったこっちが恥ずかしかった…。 さて、S本人は、いろいろな話し合いの間もマイペース。回転するイスでまわったり、足をテーブルの上に時々置くくらい…最後はイスで走り始めるイタズラをしていたが…。 その後、本人は教室でのびのび遊んでいた。が、背広組のみなさんは、肝心な本人の方は見ていない。もはや、審査というよりは親との条件交渉だけのようである。その日、いかに特学のクラスにとけ込んでいるか、ぜひもっと見て欲しかったのだが…。 …と、思っていたのもつかの間、そのうちSは図書室の戸棚の上に登ったり、窓際の手すりを綱渡りし始めた…やばい…それでも大人は気づかないようだ。見られなくてホッとした。 この日はこれで終了。そして後日、校長から連絡があった。 「1年分の仕事を棒に振る」…のせりふが効いたようで、向こうが折れてくれて、「入学から2週間のみ。延長なし。」ということになった。 おかげでこちらも仕事ができる(ちなみに偶然にもその市で働くことになり、「教育界の損失君」の実力のほどがばれることとなった)。 そして、先ほどの条件などを認めた内容をこちらで書面作成して、校長に提出。 校長から入学の許可を市教委に具申して、3月になって、やっと入学通知書を受け取ったのであった! ただの一枚の紙切れだが、とても重い物に感じた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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