給食の味を「なつかしい」思い出にしている人も多いと思うが、これはおいしい思い出の人とおいしくない思い出の人がいるはずで、それもそのはず、味は千差万別なのだ。
まずよく言われるのは「自校方式」と「センター方式」の違い。一般的に「自校方式」の方がおいしいと言われている。これは作る量が少ないし、温かいうちに届くこともあってのことだ。
また、現代においては、栄養士さんの腕! 予算とか数値とかなにかと制約があって大変だそうだが、これもセンスというか、味・好みへの影響大である。
私の出身小学校は「自校方式」だがおいしくなかった。もう30年近く前だし、6クラス×6学年ということもあったからか、とにかく、「このメニューならおいしかった」という記憶さえほとんどない。
当時の指導は「給食は残してはダメ」というのが主流で、好き嫌いの多かった私は「食べ終わらないと昼休み遊びに行けない」ということでつらい記憶が多い。スキをついて、人の食器に移したり…そんな技までやっていたのは覚えている。
ある時、必死で目をつぶって食べるのだがどうしても飲み込めないおかずがあった。そのひとつのもののために、食べ終わらないまま何分も過ぎていき、食べては吐きだしていた。担任の先生がそれを見てひとこと
「それは食えん」
にんじんの芯、葉っぱの根元の所だった。
考えてみれば「食べられないもの」まで入っているのでは、給食がおいしいわけがない!
住んでいた土地柄か、くじらの肉もよく出た。今時は、すごく高いが「おいしい」ものが少量出回っているくじらであるが、当時、給食にまわってきたのは「安くてまずい」ものだった。とにかく「固くて」かんでもかんでもなくならないのだ。「鯨カツ」とか今なら食べたいのだが、当時はイヤでしょうがなかった。脂っこい鯨ベーコンも…。
時は流れてその25年後、養護学校に勤務していた時、毎日の給食がおいしかった。自校式だったのと、栄養士さんがベテランでセンスがよかったからだと思う。学校の特性上、あまり魚が出なくて、出る時は「骨のない魚」だったのには驚いた。この魚の謎の切り身…今は一般にも出回っているようだ。骨が絶対ないはずなのに、どうしても信じられなくて、つい、ちょっとずつむしってしまうのであった。
その翌年の公立ではない小学校では、○ダックスなる業者が参入して、材料はそこから来て、校内で給食を作っていた。 これは
「すごくうまかった◎」
生野菜も給食で出ていた(公立はほとんど無理)。毎回、給食が楽しみ…という人生初の体験だった。給食中に、児童達が牛乳びんさえ割らないでくれれば、こちらもゆっくり食べられるのだ。
大きな食堂で二つの学年で食べていたので、自分のクラスのおかわりがなくなると、他のクラスの先生の所に話しに行くフリをしながら、帰りはそのクラスの食缶まであさっておかわりしていた。
しかし、給食がおいしいことはいいことばかりではない。
運動不足もあったが、その1年だけで8kg…と、よく太らせてもらった。
「このままではイカン」と毎日思いながらも、毎日誘惑に負けた一年間であった…。
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最終更新日
2005/11/30 07:15:45 PM
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