高校野球で、地元の山口県代表校が南陽工業に決まった。自分が今20年以上住んでいる地域よりも、地元の予選の方が気になるし、甲子園でもそっちの結果の方が気になるのがとても不思議である。
今回、自分の母校はまさかの1回戦負けであっという間に希望がなくなっていたのだが、準決勝に下関工業と下関商業がそれぞれ進出していて、「久しぶりの下関勢」に期待がかかっていた。
が、それぞれ多々良学園と南陽工業に負けて、決勝戦を前にすでにがっかり…だった。
で、興味を失っていたので、新聞で初めて決勝の結果を知る…ということになったのだが、いざ南陽工業が代表となって、『このチームを昔すごく応援していた』ことを思い出した。夏の出場が、28年ぶりということだが、たぶんそれよりも前だったろうか?それともその時だったのか?
山口県内でも無名に近かったこのチームにものすごい投手がいた。140km台の速球をビシビシ投げる。またその躍動感あるフォームがかっこよかった。甲子園での試合をテレビで見るだけのに、なぜか壁に「がんばれ南陽工」という小さな垂れ幕まで紙で作ってさげてしまった(笑)。
そこまでさせてくれたその投手の名は津田恒美。高校卒業後は協和発酵の社会人野球を経て広島カープに入団。『炎のストッパー』と呼ばれ、プロになってもその躍動感はずっと続いていた。が、テレビで見られるのは巨人戦だけだし、阪神ファンである私は「巨人対広島」を見ることもあまりなかった。
広島で活躍をそう知らないまま、次に彼の名を聞いた時は「闘病生活に入った時」と「亡くなった時」である…。
脳の病気(確か水頭症)に冒され、若くして帰らぬ人となった。
最後のストライク
もう一度、投げたかった
山本譲二/星空の鎮魂歌(レクイエム)~津田恒美投手に捧げる
ああいうワクワクをくれる投手がこの夏もいるといいなあ。ちょっと楽しみである。
そういえば、その頃から南陽工の帽子の『N』のマークがデザイン的に浮いていてかっこわるかったのだが、今もそうかな…。