カテゴリ:1年以上前をふりかえっての日記
2年前(2005年)は、公立中学校の講師や介助員をやるようになって初の夏休み。
講師の給料は月割りだし、自宅研修ということで堂々と休める。枠数がある程度あるとボーナスも一応出る。 10日程度は、Sの小学校のプールの引率だ。 それ以外の日は家でごろごろしていてもいいのだが、クーラーがないので暑くてそれもできない。 さらに、義父母の手前、「大学附属の学校に籍を残して、講師として出向している。授業研究のための公立派遣」なんていうややこしい肩書きを装って(笑)いるので、特にSの用事がない日は自宅にはいづらく、図書館通いをすることにした。 ちょっと足を伸ばして(車で)、自分のパソコンが使えて電源も取っていいH市の図書館を見つけた。 この夏のテーマは、給料減額分を埋め合わせるために『印税生活をめざそう!』であった。 第一歩として、参考書のたぐいの企画書を作ろうと考えた。 題名は、『中学生が考えた 年代暗記 連想記憶術!』 実は、2002年度のY中の選択授業でアホなことをやっていた。内容は、歴史の重要年代についてひたすら覚えるために「語呂合わせ」をひたすら考える…というもの。 その年の3年生は自分の学年ではなかったし、半分冗談ですまそうとしたのに、なぜか人が集まってしまった…。 なんと3回に分けて100人も参加することに…。学年150人くらいの学校なんですけど…。 なんでまたこんなことになったのか…と感じたのは、同じ週のうちに、たくさん、人のダジャレを聞かされること…けっこう苦痛だ。自分が言うのはそうつらくないのだが(笑)。 その時間の進行はこうだ。まず、その日のお題として、5つくらいの事件と起きた年を板書してその内容を説明。ここまでは普通だ。そしてシンキングタイム! この間、座席も自由に移動して遊んでいるかのようだ。そして20分くらいして発表の時間。この時にネタを思いついていない人は責められる。(というかデコピンコースかお説教コースの選択) この発表が楽しいような苦痛のような…週の最初の時間はいいのだが、3回目ともなると…。メンバーは3回とも全員違うのだが、たいていその時間ごとになかなかいいのを出す大物がいて、そういう面では結構楽しめた。 で、その時間の各項目の優秀作品第1位を最後に多数決で決める。 というのを1年間もやったので、ネタはたくさんたまっていた。そして、『万が一、これを出版するようなあかつきにはお前らは著作権を放棄しろ!』ということも認めさせていた。その代わり売り上げの一部はユニセフへ寄贈…なんて口車に乗ってみんな納得したのだった。 それを原稿にして企画書にまとめる作業をこの年の夏休みに始めたのだが、結構大変。さらに、ダジャレだけではなく、視覚的な記憶に残るように1枚の絵(漫画)とセットにしたいと考えた。 たとえば 『1867年 徳川慶喜、大政奉還・江戸時代終わり』であれば、語呂合わせが『 一発むなしい徳川慶喜』とか『 いばる(ろ)な徳川、大政奉還』。そうなる と絵のアイデアは『慶喜がふんどし姿でため息』とか『いばって胸を張る慶喜と、両手で×だしをする西郷隆盛』とそういうのを108項目の年代についてすべて3コずつ以上考えてまとめるのは大変であった。一夏使った。 こうしてできた原稿と企画書を大手漫画出版社数社に送った。ところが漫画っていうのは持ち込みが基本なのかまったく相手にされず。ひどいところは数ヶ月後に、「漫画新人賞の選に漏れました」という通知が来た。いや、漫画の新人賞ねらっているのじゃないんですけど…。 江川達也の絵なら大ヒットだ…と関連の編集者に送ったものはちゃんと返事が来た。いずれにしても、漫画に便乗して売ろうという作戦は難しかったので、普通?に、その後は、教材系の会社に営業しようと思った。 で、本屋でそういうコーナーをのぞいてみると…あれ、ある。小さい本で、『くもん出版』から出ている本で、絵が1枚と語呂合わせ…。中学生が本当に考えたという点ではこちらに分はあるのだが、中身もそんなに悪くない。 ということで、あの夏はなんだったんだろう…という思いを残しながら敗北宣言。もしよかったら改訂の際にでもお使いくださいとその出版社に原稿を送った。 まあ、勝手に送ったのだから文句は言えないが、お礼の連絡も何もなし。もし、勝手に使って黙っていたらその時は何か要求していいのかな…。 で、その原稿だが、絵こそつかないままだが、語呂合わせは、I中の授業(補教の時など)でプリントとして配布されている。Y中のOBたちのダジャレがよその土地で花を咲かせて?いるのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007/07/28 12:07:13 AM
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