テーマ:ひとり言・・?(17621)
カテゴリ:1年以上前をふりかえっての日記
その後、春の県決勝大会で名門の岩国商に惜敗したこと、さらに次の会長旗杯で春の中国大会優勝校の萩工とも激しく打ち合った(11対11というすさまじい試合となり、最後は7回裏に7点とられてコールド負けだった。まだ取り返せたのに!)ことなどから、夏は「優勝候補の一角」とか「台風の目」と書いてくれる野球雑誌もあった。たぶん記者がN高OBだったのだろう。
しかし、監督も帰ってきたし(一応うちに負けたことも不名誉ではなくなったようだ)、本当の優勝候補は、やはり下関商と宇部商なのだ。そこに打ちまくる萩工、試合巧者の岩国商…といったあたりが本当の実力校だ。 そして最後の夏の大会1回戦。 なんと、また当たってしまった。3回しかない公式戦のすべてでベスト8よりも前に下関商とぶつかる…。60校近い学校があるのになぜ? 抽選結果を聞いた時はがく然とした。K君は、抽選した監督の名(翁)を叫びながら、部室の鉄製のロッカーをぼこぼこにした(笑)。ちなみにベスト8に入るには、1回戦は下関商、勝つと2回戦は宇部工、それに勝つと春の中国大会優勝校の萩工。しかも日程は3日連続で組まれている。 何試合も勝ち残れるようなこの夏の活躍を思い描いていたし、少しずつ強い相手とやるつもりだったからまあ怒っても無理はない。まるで県決勝大会並みの対戦相手ばかりだ。もしかしたらこの頃はシード制自体が山口にはなかったのかもしれない。 さすがに、強豪の集まるゾーンとして話題にもなったし、「お隣さん対決」として、新聞やテレビにも取材されて、試合翌日は全国版にも記事が載った。そうやって騒がれて書かれた新聞に、向こうの主将の話で「一番やりたくない相手と当たった。でも今度は絶対に勝ちます。」とあった。もう『寝言』じゃなくなっていることは気持ちが良かった。 さて、試合当日、1回戦にも関わらず相当な人数が集まった。お互いに「この1試合で終わりかもしれない」という思いがあり、全校体制に近い人数の応援団。あと、スタンドではなく、「高校野球好きのおっさんたちが集まる無料席」…ライト付近の『がけ上』と呼ばれるその場所は明らかに超満員だった。 そんな注目の一戦は、じりじりとしたさぐり合いのような試合。 早々と初回に2点リードされていたが、3回に追いつき、7回裏についに逆転。しかし8回表にまた追いつかれてそのまま延長戦に突入した。 正直もうばてていた。ちなみにこの時期の私はほぼ専属の一塁コーチャー兼伝令だった。三塁手兼右投手のP君が投げると私がセカンドに入るのだが、エースが投げないと勝てないチームになっていたので守備での出番はほぼなくなっていた。「代打の切り札」の位置づけでまわりは言ってくれていたが、そういう場面でたいてい監督は私の存在をほとんど思い出さなかった(笑)。なので、この大事な一戦も、9回まで試合では登場していなくて、コーチャーズボックスとベンチの往復とか、マウンドへの伝令とかだけなのに、すでに疲れ切っていた。 みんなもはっきりとは言わないが、もう体は限界だったはずだ。なんたって暑い日だった。そして日頃、学校の近くの『忠霊塔の坂』という急坂を「20本走るチーム」と「100本走るチーム」との両校の違いはここで現れたのだった…。 ちなみにこの目立つ試合で三塁手として3本の大暴投を投げた男がいる。 私の親友であるその男(P)は、練習熱心だし、一生懸命だし、とてもいいヤツだが、日頃からエラーも多いのでチームメイトは守備の乱れにはお互いにびっくりしないのだが、さすがに同点にされる一発、逆転される一発となると…、さらにとどめの6点差になる一発…となると、人々の記憶には焼き付いたようである……。実況のラジオには「彼は…肩が強すぎるんですねえ。」と録音されていた(笑)。 のちのち、校長まで「あの暴投がなければ…」なんて話を朝礼で話したが、部員の中ではむしろ敗因は「この日は、相手投手の適度な荒れ球が打てなかった」なのだ。守りきるチームではないことはお互い様でよく知っていたのだ。 さて、3発目のものすごい暴投の後に、彼は退き、サードにセカンドのO水が入り、セカンドに私が入る…というチャンスがまわってきた。彼のおかげ?である。(ちなみに偶然にもこの時動いた3人は同じ東京の大学に入ることになる…。) 球場のダイヤモンドの中は不思議な空間だった。鳴り響く相手校の大太鼓の音。これは当時のバンドメンバー(ボーカル)でブラバンに入ってドラマーになった男が『Let’s go』のかけ声に合わせてたたいている。やられている側の立場にはアフリカの魔術?のような不快な音だ。急に入った私にエースが気を遣ってキャッチボールをしてくれている。そっちこそ、もう投げられないくらいボロボロのくせに…。スタンドが真っ白に見えた。日差しが強くてクラッとした。 「代わったところに球が飛ぶ」とよく言うが、それはサードの方だった。セカンドから代わったばかりのサードに、また暴投を誘うようなセーフティーバント…さすがは名門校だ。しかし、これをO水は難なく、いや、危うくさばき、アウトとした。私の守備の時間はこの1球で終わった。ラジオ中継には、「いま代わりましたわらG選手ですが、手元の資料によりますと……おっとバントしたー!」と何かを紹介する前に終わっていた(笑)。 チェンジになって戻る時に気がついたが、ツーアウトなのに前進守備をしていた。やっぱり上の空というか、夢心地というか、地に足がついていなかった。その後の反撃もなく、私は打順も回らず、結局、延長10回、3対9で敗れた。開会式のその日のうちに終わった夏は短かった…。そしてこの夏の他のチームの野球はいつまでもやっているなと例年よりも長く長く感じた。 ちなみにその下関商は残りの2試合を圧倒的なコールドで勝ちベスト8に。「N高戦はしんどかったけど、一度追い込まれたので、それで波に乗れた」と主将がコメントしてくれていた。その後、事実上の決勝戦と言われた準決勝で、延長の末、宇部商に敗れた。その宇部商はのちに広島カープに入団する秋村投手を軸に甲子園でも快進撃。初戦で帝京を破り、準々決勝で、横浜商の三浦投手の前に敗れた。その横浜商は1年生の桑田投手に決勝で敗れ準優勝した。 詭弁家の多いうちの高校の生徒の多くはこう言った。 「うちの野球部も、『9回まで』なら全国レベルだ!」 (まだ一応続く) 【特選美味★下関名物】香り高い抹茶を使った茶そば使用♪下関郷土料理オリジナル長州瓦そば(2人前) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007/11/07 04:54:54 PM
コメント(0) | コメントを書く
[1年以上前をふりかえっての日記] カテゴリの最新記事
|
|