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公務員保育士がヨガスタジオを作るまでのお話

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2024.05.03
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カテゴリ:わたしのこと


母のうつ病がさらに悪化したのは
中学3年の夏頃でした。

睡眠薬を飲んでも夜中に目覚めて過呼吸を繰り返し
救急車を呼んだのも1回や2回ではありません。

救急車がくると地域住民の注目を集め、
それがさらに、母を追い詰めました。

ですが、うつ病への理解がまだ乏しかった私にとって
なぜ、母はここまで苦しんでいるのか
なぜ、わたしはこんなに悩まなければいけないのか

考えても考えても分からず
イライラした感情を抑えながら
笑顔を作る日々が続きました。


そんなある日、わたしが学校から帰ると
母がリビングの床に座り込んで
何か独り言を言っていました。

「アイスが食べたい」
母が子どものように言います。

「冷凍庫にあるよ」と手渡すと
「これじゃない」と言われました。

いつもと違う母の雰囲気に、異様な空気を感じて
母が求めるアイスを買いにコンビニに走りました。

急いで購入して家に帰ると妹も帰宅しており、
「おうちに帰る!!」と泣いている母の前で
困惑していました。

「おうちはここでしょう?
もういるよ。大丈夫だよ」と

妹と共に母を一生懸命なだめました。

でも、母の言う“おうち”は祖母の家のことでした。

県外にある祖母宅はもちろん徒歩では行けません。
そして私たちも運転する術も交通費も持っていません。
さらに言えば祖母宅への経路も正しい住所も分かりませんでした。

泣く母をなんとか起こし、車に乗せ
「おばあちゃんち帰ろう!おうち帰ろう!」と
言いました。

今考えれば危険すぎたと思います。
でも、とにかく母を“おうち”に連れて行かなければと、
その思いでいっぱいでした。

エンジンをかけ、ナビを操作すると
「おばあちゃんち」の文字を発見しました。
妹と顔を見合わせ安堵したのを覚えています。


道中、母の口にアイスを放り込みながら
色んな話を聞きました。

祖父がいかに厳格だったか
父がどれほど立派か

「今隣にいるのがあなたじゃなくて
パパだったら良かった。」と話を締めくくられました。

迷惑を子どもにかけたくないという
天邪鬼な母の発言だったと思います。

ですが、わたしにとって自分の存在を否定するには
十分すぎる言葉でした。

泣いて叫び出したい気持ちを我慢しながら、
「あとちょっとだよ。パパももうすぐ来るよ。」と
母を鼓舞しながら祖母宅になんとか到着したのでした。





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最終更新日  2024.05.03 13:15:45
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