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テーマ:本のある暮らし(3308)
カテゴリ:愛する本
昭和25年5月第三版『君 死にたまふことなかれ』 深尾須磨子 改造社 「君 死にたまふことなかれ」 与謝野晶子 あゝおとうとよ、君を泣く/君死にたまふことなかれ /末に生まれし君なれば /親のなさけはまさりしも/ 親は刃をにぎらせて/ 人を殺せとをしへしや/人を殺して死ねよとて /二十四までをそだてしや 堺の街のあきびとの/ 旧家をほこるあるじにて/ 親の名を継ぐ君なれば/君死にたまふことなかれ /旅順の城はほろぶとも/ほろびずとても何事ぞ/ 君は知らじな、あきびとの/家のおきてに無かりけり
あゝおとうとよ戦ひに/君死にたまふことなかれ /すぎにし秋を父ぎみに/おくれたまへる母ぎみは/ なげきの中にいたましく/わが子を召され、家を守り/ 安しときける大御代も/母のしら髪はまさりぬる
★☆ まだまた、戦後間もない頃、バラックが建ち並ぶ東京で書かれた、与謝野晶子伝。 深尾須磨子は兵庫県出身、15歳の時、京都師範学校に入学したが、派手な服装、奔放な言動が原因で退学。菊花高等女学校(現 京都聖カタリナ女子高等学校)に入学した。 与謝野晶子に傾倒し、師事。 与謝野晶子をよく知る人の伝記としては有名な本である。 しかしながら、読み進めていくと、近いだけに晶子に肩入れする熱は熱く。 ともすれば客観を越えた賛美歌に聞こえる・・・・ 曰く「詩業においてサッフォの普遍性に通じる彼女は、その生涯を人類の庇護に捧げた点において、正に偉大な人類の母であつた」 「高みに立つて鞭をふりあげるようなこともなく、常にわれわれの座にあつて、虔しく、しかも毅然として、われわれと共に語り、われわれと共に励み、われわれの希望を希望としもわれわれの苦悩を苦悩として、戦いぬいたのである。これほどの歓喜、これほどの栄光がまたとあろうか。われわれはいたずらにガンジイやキュリイを羨むまい。われわれにも与謝野晶子がある。叡智と美と自由と愛の花束に、燦たる人類の理想をかざした、しかも力の人、晶子がある」 ガンジイ、キュリイ?もはや歌人ではないし・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.12.29 23:10:14
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