カテゴリ:障害者と働く
解釈は違うでしょうが、此の場合のドナーは臓器提供者の意味ではなく、自分の人生を誰かのために、他人(自発的な意思ではなく)に運命付けられた人と言うほどの意味合いです。
具体的には、骨髄提供の必要な長子のために命を与えられた、次子。 お兄ちゃんを生かす為に(ドナー)兄弟を産むという例です。 此の子こそ親のエゴのために生まれてきたという一面を持っていることは誰にも否定できないと思います。 比較すれば、このドナーよりも過酷な状態にあるのが障害者の家族(主に兄弟)でしょう、病気に対するドナーは移植が成功すれば終わり、それぞれの人生が待っています。 障害者の家族にとっては障害者の命が終わるまでそれが続きます。 親は先に逝きます、酷な言い方をすれば兄弟より苦しむ時間は短く。 障害者の世話の続きはドナー(兄弟 etc)です。 そしてこのドナーたちは声を上げません。 唯お兄ちゃんだから、お姉ちゃんだから、人生を自分以外の為に。 そんなことを考えたりする今日この頃です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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