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カテゴリ:スポーツ
『「超二流」という言葉は、
私の尊敬する三原脩監督が作り出したものだ。』(p.6) 本著「まえがき」の冒頭の一節です。 「超二流」、何と魅力的な言葉でしょうか。 『だが、確かに一流にはなれないけれど、 「超二流」ならば努力次第で誰しもなることができるのだ。』(p.7) これも、本著「まえがき」の中の一節。 もちろん、プロ球団に入れる才能や素質があることが大前提。 ただ、よく「長所を伸ばして欠点を補う」などと言うけれど、これは間違いだ。 確かに長所を伸ばして引き出してあげれば、全て上手くいくことはある。 ただ、それはあくまでも結果論だ。 いくらいいところがあっても、欠点を直さないと往々にして長所を邪魔してしまう。 だから、まず欠点を直す。 最低限、直す。 それを第一に考えるべきだと思う。(p.85) 人によっていろいろな考え方があると思いますが、 私は、野村さんの言わんとしているところは良く分かります。 日本人は何かと「自主性が足りない」と言われるが、 この「自主性」を勘違いして「自分勝手」に行動する者も多いのが事実だ。 自主的に考えて、素直な心で、壁に挑む。 そんな姿勢でいることが、時に最高の結果をもたらすことがある。(p.90) これも良く分かります。 「自主性がある」と「聞く耳を持たない」とは、全くの別物です。 要は「結果」は自分がコントロールすることができない、 後からついてくるもの、と割り切る覚悟が必要なのだ。 「未来」の事象だから、それについてあれこれ考えてもしょうがない。 そこでおのずと大事になってくるのが、 その結果に至るまでの「プロセス」ということになる。 要は「今できることを正しくやる」ということだ。(p.137) 先日読んだ『寂聴 九十七歳の遺言』で述べられていることと、 相通じるものがあると感じました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.03.22 16:56:46
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