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カテゴリ:社会・政治・時事
興味深いタイトルで、思わず手に取ってみると、著者はあの池田清彦さん。
本著も、「ホンマでっか!?」くらいの気持ちで読まないとダメ? *** 「第1章 蘇る優生学」では、まず、相模原市知的障害者施設殺傷事件を取り上げ、 その後、積極的優生学と消極的優生学に言及すると、 「第2章 優生学はどこから来たのか」では、古代ギリシア・プラトンの時代から、 近代優生学の祖・ゴルトンを経て現代に至る優生学の推移を示していきます。 そして、「第3章 ナチス・ドイツの優生政策」では、 優生政策と安楽死計画、ホロコーストとの関係性を明らかにし、 「第4章 日本人と優生学」では、日本の優生学の源流から始まって、 優生保護法成立やハンセン病患者の隔離・断種政策について述べていきます。 さらに、「第5章 無邪気な「安楽死政策」待望論」では、 医師二人による嘱託殺人事件を取り上げ、安楽死について考察すると、 「第6章 能力や性格は遺伝で決まるのか」では、 ヒトゲノム計画や新型出生前診断について考察し、 「第7章 ”アフターコロナ”時代の優生学」では、 「チフスのメアリー」の教訓を生かすよう訴えています。 *** 本著の中で、私の心に深く残ったのは、 第5章の「「死」は自分で決められる?」で記されていた次の部分。 しかし、私は以下の理由から、「死の自己決定権」という考え方には同意できません。 この点については『脳死臓器移植は正しいか』(角川ソフィア文庫)で 詳細に論じていますので、ここでは要点だけ説明します。 理由1 自分の身体や自分の命は、自分の所有物ではない(中略) 理由2 生と死を特定の時点で分けることはできない(中略) 理由3 市は生物学的なものであるだけではなく、社会的なものである(p.134) 特に、「理由1」は衝撃的でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.06.13 12:42:09
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