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ビジネス便利屋兼ライター 永嶋信晴のブログ

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2022年02月12日
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カテゴリ:国内旅行365
こんにちは。
 
かなり間が空いてしまいましたが、本日は、新作 「​​​おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編​​​​​​」からのネタです。


 新たに取材したネタと写真をもとに書き下ろした本書は、東京周辺の歴史スポットの紹介で人気を博しております。
 
今回は、第3章の『 のぼうの城・忍城の痕跡と市内随一の桜の名所・水城公園を歩く 埼玉県行田市 』をお送りさせていただこうか、と。 
 
諸事情があって、冒頭の部分だけですが…。
 
すべての記事は、​​こちら​​ですよ。
 
是非、本書もご覧いただければ幸いです。
 
 
1.のぼうの城の大ヒット前から注目していた「忍の浮城」
 
今回行ったのは、埼玉県の行田市。
 
 行田市は、私が子供の頃から注目していた町です。当時読んだ歴史の雑誌に、行田が紹介されていたのですよ。
 
 行田は、昔、忍(おし)という地名で呼ばれ、古代から巨大な古墳が数多く作られた土地だったらしい。江戸時代は、10万石の城下町としても栄えたそうです。
 
 その雑誌には、「忍の浮城」という記事が載っていた記憶があります。
 
 豊臣秀吉の小田原攻めのとき、北條方に味方した忍城が、石田三成らの大軍によって水攻めをうけても落ちない。
 
 城が浮かんでいるのではないかと噂されたことから、その話ができたそうです。
 
 水攻めと言えば、豊臣秀吉の備中高松城が有名ですが、関東でも水攻めの戦場があったのですね。
 
 子供のときは、今よりさらに城ヲタクだったので、いろいろイメージを膨らませたのを覚えています。
 
 行田市は、すでに2回訪れており、前回行ったのは今から6年ほど前。
 
羽生から行田市まで、秩父鉄道を利用したのですが、実にローカルな駅が並んでいたのを覚えています。
 
車窓からの景色も、北海道のような見渡す限りの畑が広がっているのですよ。東京の近郊で、地平線の近くまで緑が広がる風景が見られるとは思いませんでした。
 
 秩父鉄道の行田市駅も、すごく静かで、「駅前の喧騒」という言葉からは無縁です。東京23区の駅は、どこへ行っても例外なく人流がすごいですからね。
 
 コロナ禍の時期、行田市駅が混んでいたら嫌だなと思っていたら心配ご無用でした。


 
 ホームがすいているだけではなく、平日だからか、駅前にも人がほとんど歩いておりませぬ。


 
 駅前はシャッターが閉まったままの店舗が少なくなく、都内同様、コロナ禍の深刻な状況が感じられました。
 
2.江戸時代の存在感が伝わってくる大長寺の大仏
 
 ガイドブックを見てまず向かったのは、市内を流れる忍川のほとりにある大長寺。


 
このお寺の開基は、元亀天正年間というから安土桃山時代ですかね。江戸時代の初期に忍藩主や老中を勤めた阿部忠秋から阿部豊後守家の菩提寺となったらしい。


 
見どころは、芭蕉の句碑と行田大仏と呼ばれる大仏です。


 
芭蕉の句碑はお寺の入り口付近にあり、以前は市内の別の場所にあったのを、区画整理の際にここに移されたのだとか。


 
 碑の表には、芭蕉の一番有名な句である「古池や蛙飛こむ水の音」が刻まれ、碑の裏には、安永から寛政にかけて江戸で活躍した俳人の名前があります。
 
 これだけ大きな句碑が、どういう経緯で行田市にあるのか気になりますね。
 
前回来た時、大仏が、思っていたよりもずっと大きかったので驚いた記憶があります。
 
 大仏とガイドブックにあっても、実際はジャイアント馬場か小錦くらいの大きさの仏像だったりするケースがあるのです。
 
しかし、これは誰が見ても大仏。もちろん奈良や鎌倉の大仏様と比べたら気の毒ですが、近くに寄って見ると堂々たる高さはあります。


 
 身丈が3.6メートルで、蓮台を含めた総高が7.4メートル、重量は6.7トンもあるのですか。
 
意外と新しいと思ったら、現在の大仏は1996年に再建されたのですね。
 
元の大仏は、江戸時代中期の享保年間に、前に述べた忍藩主・阿部豊後守家から寄進されて作られたらしい。ところが、太平洋戦争の最中に梵鐘とともに供出されてしまったそうです。
 
 江戸時代の行田、忍の人たちも、今と同じ大仏様を見上げていたのですな。
 
3.日本一の足袋どころ、行田を知っていますか
 
 大長寺から行田市の目抜き通りを通って、行田市郷土博物館のある忍城跡を目指します。
 
 行田市駅前は、比較的静かな雰囲気でしたが、道路の左右に銀行や商工センター、市役所の建物が並び、さすが10万石の城下町だと感じました。


 
 途中、木製の案内板が目に留まります。そこには、「足袋の行田か、行田の足袋か 忍の行田は足袋で持つ」という文字が…。


 
 行田は、日本一の足袋どころで、最盛期には、全国の足袋の8割を生産していたのですか。
 
 そういえば、足袋蔵のまち行田の幟もありましたね。


 
 3度目なのに、恥ずかしながら、行田が足袋の生産地とは知りませんでした。城跡もいいけれど、地場産業にも興味を持たねばと考える今日この頃。
 
 さらに歩くと、今度は、「徳川幕府を支えたのは忍城主」という文字も。



 そこには、三代将軍徳川家光の両腕となっていた松平信綱と阿部忠秋は忍藩主だったとあります。このほか歴代藩主の
7名が老中で、そのうち3人が現在の総理大臣といえる老中首座だったのですね。
 
 こちらは、聞いたことがありますよ。江戸に近い場所には、譜代の重臣が配置されましたが、忍は特に重要な場所だったのでしょう。
 
 さすが老中を生んだ城下町だけあって、歴史のありそうな商家の建物や蔵が所々残っていました。
 
 本日は、行くべき観光スポットが多くてスルーしてしまいましたが、いつか市内に残る足袋蔵を見学しようと決意を新たにします。
 
4.三階櫓の眺望と行田の歴史文化がコラボで楽しめる行田市郷土博物館
 
 行田市役所を左手に見ながらさらに歩くと、行田のシンボルの1つともいえる三階櫓が聳え立つエリアに到着です。


 
 ここはかつて忍城の本丸があった場所。現在の住所表示も本丸ですか。普通の住宅地になっている場所もあって、とてもうらやましく感じました。
 
 本丸に住んでいるというだけで、毎日、お殿様気分が味わえそうですからね。
 
 三階櫓は、かつて忍城に建てられていた「御三階櫓」を模して、昭和63年に建てられたらしい。


 
 ただ、実際にあった三階櫓とは外観や大きさが異なっているとのこと。よくある観光用の天守という位置づけなのですな。
 
 事実、忍城のモノホンの「御三階櫓」は本丸ではなく、三の丸の端っこのほうにあったらしい。
 
それが完成したのは、元禄時代という太平の世。軍事的価値よりも、一般の人たちがよく見える場所に建てて、当時から城のシンボルとしての価値を優先させたのかも。
 
 現在の三階櫓の形は、少し小田原城の天守に似ているような気がしました。


 
千葉市の亥の鼻公園にある千葉城は、モロ小田原城のコピーですが、こちらはオーソドックスで特徴はあまり感じませぬ。史実とは関係ない観光天守は必要ないという意見もありますが、個人的には、天守が見える町はやはり魅力的。
 
歴史的な価値は別にして、単純に造形の美しさを堪能するのでした。
 
申し遅れましたが、この三階櫓は、行田市郷土博物館の施設の一部。大人は、入館料200円で入ることができます。
 
郷土博物館は、本丸御殿を模した造りかと思ったら、足袋屋の店先を模したのですか。


 
だとすれば巨大な瓦屋根で、かなりの大店ですな。
 
 館内では、古代、中世、近世、足袋という4つのテーマで、行田の歴史と文化が紹介されていました。
 
 展示物で一番興味を惹かれたのは、江戸時代の忍城の模型です。写真が禁止なので、その雄姿をお見せできないのが残念。
 
 当時の忍城は、堀の幅が広いというより、大きな沼の中にたくさん顔を出した土手の上に城が築かれたという感じでしょうか。
 
 水攻めをされなくても、見た目はすでに「浮き城」。今も残っていたら、壮大な眺めだったのでしょうね。
 
 ただ悲しいかな、明治維新のときに城は取り壊されてしまいました。維新の動乱で、同じように日本中いたるところで城が取り壊されているのですよ。
 
 ホントに、もったいない話です。現在、残っていれば、こんな素敵な歴史遺産はないはず。
 
 観光用の櫓を建てる必要もなく、全国から歴史ファンが押しかけていたのに…。
 
 気持ちを切り替えて、隣接する三階櫓に登ります。完全な鉄筋コンクリート造りで少し味気なかったですが、最上階からの眺めはなかなかでした。


 
 当時は、湖に浮かんでいるような気分が味わえたのでしょうね。
 
5.市街地に残る大城郭・忍城の痕跡
 
行田市郷土博物館を出て、付近にあるという忍城の遺構を探してみました。館内で見た忍城の縄張りを忘れないうちに回らねばと、気が急きます。
 
江戸時代の忍城の本丸は、うっそうと木が茂っていて、大きな建物はなかったらしい。


 
 忍城が最初に作られたのは室町時代。本丸が100メートル四方の方形ということで、中世の居館をベースに、戦国時代に拡張されていったと考えられるらしい。
 
 現在の本丸には、郷土博物館のほかに鐘楼がありました。


 
 鐘は、1823年に、松平氏が桑名から忍へ移封されるのにともなって忍城へ移されたそうです。こんな重いものを移動させるのだから、鐘に対する藩主の思い入れがあったのでしょうか。


 
 ちなみに忍城は、「のぼうの城」の主役である成田氏が、土豪の忍氏を滅ぼして築いた城です。
 
 その後、成田氏が約100年間も城主を務め、1590年の石田三成の水攻めまで、この地域を支配したのですね。
 
 成田氏の全盛期の石高は、30万石とも言われています。
 
 
(以下、「​おもしろ歴史ウォーキング 武蔵国編​​に続く)
 
このあと、戦国時代屈指の水城といわれた忍城の痕跡を詳細にレポートします。
 
忍城はほとんどの建築物が失われていますが、本丸の一角に、かつての藩校・進修館の表門だったと伝えられる門が移築されていました。現在、諏訪神社と東照宮になっている辺りに、かつては諏訪曲輪があり、当時の土塁が残っています。
 
また、市内のところどころに石碑があり、藩主の隠居所や三重櫓の跡など重要スポットが特定できるのもうれしい。
 
そしてイチ押しのおすすめスポットは、水城公園。忍城の外堀跡を整備して作られた公園で、面積は約10ヘクタールもあります。かつて「忍の浮城」と呼ばれた雰囲気を残す唯一の場所なのだとか。
 
ほかにも、公園の中には、市指定有形文化財になっている洋館など、見どころが目白押し!
 
東京周辺の歴史ウォーキングの醍醐味が味わえる続きは、是非、​​こちら​​をご覧いただければ幸いです。
 
 
(参考)
目次より
第1章 城跡、藩校、郷土資料館がセットで揃う、武蔵国の貴重な城下町・岩槻を歩く 埼玉県さいたま市
1.小田原だけではなく、岩槻にもあった城の総構
2.江戸城を築いた太田道灌ゆかりの芳林寺
3.かつては岩槻警察署の庁舎だったさいたま市立岩槻郷土資料館
4.埼玉県で唯一残っている江戸時代の藩校・遷喬館
5.さまざまな戦乱の舞台になった戦国最大級の水城・岩槻城
6.岩槻城址公園に残る江戸時代の二つの城門
7.現代に残る岩槻城の痕跡をさがせ
8.今も時刻を知らせる岩槻の貴重な「時の鐘」

第2章 縄文時代を体感できる水子貝塚公園と戦国の城のビジュアルを再現した難波田城をめぐる旅 埼玉県富士見市
1.埼玉県富士見市で、ウォーキングの新たな楽しみ方を発見
2.3つのテーマの景観が楽しめる富士見江川プロムナード
3.ハナショウブの時期には是非訪れたい山崎公園
4.縄文時代のムラを再現した水子貝塚公園
5.縄文時代が身近に感じられる水子貝塚展示館と資料館
6.美しく整備された戦国の平城・難波田城
7.難波田城公園の江戸時代を感じる明治の古民家

第3章 のぼうの城・忍城の痕跡と市内随一の桜の名所・水城公園を歩く 埼玉県行田市
1.のぼうの城の大ヒット前から注目していた「忍の浮城」
2.江戸時代の存在感が伝わってくる大長寺の大仏
3.日本一の足袋どころ、行田を知っていますか
4.三階櫓の眺望と行田の歴史文化がコラボで楽しめる行田市郷土博物館
5.市街地に残る大城郭・忍城の痕跡
6.「忍の浮城」の名残をとどめる水城公園は、市内屈指の桜の名所

第4章 武蔵国トップの古墳があるさきたま古墳群は、特別史跡をステップに世界遺産登録を目指す 埼玉県行田市
1.埼玉の名前発祥の地、行田
2.令和初であるとともに、埼玉県初の「特別史跡」に指定されたさきたま古墳群
3.前方後円墳の形にまつわるエトセトラ
4.さまたま古墳群と田園調布の深い関係
5.国宝の鉄剣が必見のさきたま史跡の博物館
6.武蔵国最大の二子山古墳と国宝が出土した稲荷山古墳
7.将軍山古墳は、実物の横穴式石室を建物の中から見学できる
8.のぼうの城で、石田三成が本陣とした丸墓山古墳

第5章 国分寺、庭園、名水、古刹、総社など、歴史ファン必見のスポットが満載! 古代武蔵国の県庁所在地を歩く 東京都国分寺市・府中市
1.古代の武蔵国の中心地であった国分寺と府中
2.国分寺崖線を利用した絶景が見事な国指定の名勝・殿ヶ谷戸庭園
3.武蔵野の面影が残るお鷹の道と日本の名水100選のひとつ・真姿の池湧水群
4.タモリが作った楼門のある国分寺と全国屈指の規模があった武蔵国国分寺跡
5.訪問するたびに、見やすくわかりやすくなっている武蔵国国分尼寺跡
6.府中高札場は、都内に当時のまま残る2つしかない高札場のひとつ
7.かつては、新田義貞や鎌倉公方の軍事拠点にもなっていたという高安寺
8.古代に武蔵国内の神々を合祀した総社であった大国魂神社

第6章 興味深い歴史アイテム満載の「葛飾区郷土と天文の博物館」と戦国の巨大城塞・葛西城の痕跡を巡る旅 東京都葛飾区
1.江戸川区の葛西ではなく、葛飾区にあった葛西城
2.お花茶屋地域のネーミングに関わった八代将軍吉宗
3.事実上の奥州の国主であった武将が創建した普賢寺
4.リニューアルしてピカピカになった葛飾区郷土と天文の博物館
5.桜の季節は、贅沢なウォーキングが楽しめる曳舟川親水公園
6.子供たちのニーズに配慮したアイテムが満載の上千葉砂原公園
7.美しい桜並木の亀有さくら通りと長崎奉行を務めた旗本の墓がある宝待院
8.戦国の巨大城郭、葛西城の痕跡を探せ!
9.ギネスブックにも乗っている「こち亀」の舞台・亀有

第7章 前田利家をはじめとする豊臣方の大軍を迎え撃ったと言われる武蔵丘陵森林公園周辺の城を巡る 埼玉県滑川町、熊谷市
1.国営武蔵丘陵森林公園の周辺には城跡がいっぱい
2.豊臣の大軍を迎え撃ったという伝説が残る羽尾城
3.東松山市の大城郭・青鳥城との関連の伝承が残る羽尾神社
4.304ヘクタールの広さを誇る森林公園は、見どころがいっぱい
5.山田城が未完成の理由に対する一考察
6.不可解な縄張りの謎の城・山崎城

第8章 歴史好き垂涎の見どころ、エピソードが目白押し! 日蓮宗の大本山・池上本門寺を歩く 東京都大田区
1.日蓮上人が入滅された場所に建つ池上本門寺
2.加藤清正が寄進した長い石段がある
3.大本山の風格が漂う昭和に再建された仁王門と大堂
4.重要文化財に指定された関東最古の五重塔がある
5.古今東西の有名人のお墓がいっぱい
6.日蓮上人に帰依していた池上宗仲の館跡に作られた本行寺
7.丘陵の斜面に、約370本の紅白の梅の花が楽しめる池上梅園

第9章 都会の喧騒から一瞬で大自然にワープできる等々力渓谷と巨大古墳がコラボで楽しめる散歩道 東京都世田谷区
1.23区唯一の渓谷と古墳がコラボで楽しめる街
2.地域のランドマークを競う古墳と五重塔
3.等々力渓谷へ行ったら、忘れず訪れたい日本庭園
4.桜や紅葉が楽しめる見晴らし舞台がある等々力不動尊
5.古墳の形の変遷が興味深い御岳山古墳と横穴古墳
6.帆立貝型古墳として最大級の大きさを誇る野毛大塚古墳
7.昭和の歴史に触れられるゴルフ橋は、等々力渓谷のアイコン





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最終更新日  2022年02月12日 14時23分03秒
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