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テーマ:まち楽ブログ(32203)
カテゴリ:取材ノート
金剛福寺ゆかりの人物として後鳥羽上皇と並んで伝承されているのが源為朝である。
源為朝は、父為義に従って保元の乱(1156年)で兄源義朝や平清盛と戦うが、敗れる。しかし、処刑されるところを武芸の才を惜しまれ伊豆大島に流される。地元では、伊豆大島より琉球にわたり、その後金剛福寺の僧をたよって当地で亡くなったと伝えられている。 この墓は、土塀をめぐらせた墓域内に須弥壇状の一段高い石垣をもうけ、その上に 9基の五輪塔が立てられている。為朝の墓と伝えられているものは、右端のもので、高さ1.35mある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.06.19 11:31:27
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