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カテゴリ:言霊
大阪のダブル選挙が終わった。故郷の選挙を私もずっと注目していた。
当初大接戦と予想されたけれど、蓋を開けてみれば「大阪維新の会」の大勝利だった。自民にも民主にも失望し、橋下元知事に多少の不安を感じつつも、「変えてくれる」という期待を込めて維新の会を選んだ大阪府民の気持ちがとても良く分かる。 今回がっかりしたのは橋下候補へのネガティブキャンペーンだ。アメリカの選挙では盛んに行われるネガティブキャンペーン。相手の政策の欠点や人格上の問題点を批判して信頼を失わせる戦略だ。 でも今回の橋下候補への攻撃は、本人の政策や人格に対してではなく出自に対しての中傷だった。橋下候補が幼い時に離婚し、小学校2年生の時に亡くなった父親についての報道だった。 本人にはどうすることもできない問題への報道を知って、返って橋下候補を応援する気持ちになった。ネガティブキャンペーンは最も程度の低い戦略だと思う。 日常生活でも似たようなことがある。例えばAさんがBさんの悪口を言うのを聞いた時、私はなぜだか、悪口を言われているBさんよりも悪口を言っているAさんに嫌気がさしてしまう。 誰かの悪口を言っている時、人は醜い顔をする、醜い雰囲気を醸し出す。Bさんを貶めているつもりが、実は悪口を言っているAさんの心の醜さが浮き彫りになる。そういう人に心を開く気持ちにはなれない。 いじめも同じだ。いじめという行為は「いじめている人の心の醜さ」を浮き彫りにする。相手から不利益を受けているわけでもないのに、ちょっと気に食わないからと人を傷つける。時には自分のうっぷんを、人を傷つけることで発散する。「いじめる」という行為は、「私は自分勝手な心、醜い心の持ち主です」と周りに宣伝しているようなものだ。 人の悪口ばかり言っていて、気がついたら自分の周りには誰もいなくなっていた・・・悪口にはそんな怖ろしい力があるのだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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