ナチの敬礼?(17日の日記)
自分が支援した人物が大統領選に勝利して大はしゃぎするイーロン・マスク氏について、文筆家の師岡カリーマ氏は1月25日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 米トランプ新大統領就任に際し、最大の「支援者」である億万長者イーロン・マスク氏が、観衆の前で見せた動作が波紋を広げている。トランプ就任を「文明の分岐点」と呼び、「それを可能にした」大衆への感謝を表して、まず胸に当てた手を斜め上に突き出した。それがナチの敬礼に酷似していて批判を浴びた。 マスク氏は「誰でも彼でもナチ呼ばわりする、使い古された言いがかりだ」と反論。だが仮にアクシデントだとしても、ドイツの極右政党を積極的に支持するマスク氏が結果を予想せずにこれを2度もやったら、情報産業の頂点に立つ者としてあまりに無知であり、知っていてやったならあまりに無配慮であり、もはや何をやっても許されるという傲慢と取れる。 でも敬礼より注目するべきは、「勝利」を叫びながら壇上を跳び回り、まるで選挙で勝ったのがトランプ氏ではなく自分であるかのような、度を越した喜び方だろう。共同大統領と呼ばれるほどのマスク氏は今、新政権をもカネで買ったかのように「オレ様の時代」に浸っているようだ。もっと儲けさせてくれる大統領の就任式で、その背後にずらり億万長者が並んだ光景そのものが異様に露骨で、新自由主義とファシズムの境界線はまことに細いと思い知らされるが、自己中で知られるトランプ氏が、主人公の座をいつまでも共有するとも思えない。(文筆家)2025年1月25日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラムの-ナチの敬礼?」から引用 この記事を読んで、ふと思ったのは、あの「胸に手を当てて、その手を斜め上に挙げて」敬意を示すという「動作」は、この記事は「ナチスの敬礼」だと決めつけているが、もしかしたら、あれは西欧の人々に一般的に見られる基本動作の一つであり、たまたまヒトラー時代のドイツ人が多用したために、後世に「ナチス式の敬礼」だという印象を残しただけのことではないか、ということです。いずれにしても、日本人の場合は「敬意」や「尊敬」の気持ちを表現するのに、胸とか頭とか、身体の一部を使用する風習はないので、目立つのは事実です。また、イーロン・マスク氏のはしゃぎ方も常軌を逸しているのは衆目の認めるところであり、巨額の選挙資金を提供してもらった恩義で今のところ大人しくしてるトランプ氏も、そのうちに堪忍袋の緒が切れる日が来るのではないかと思います。