次男くん、インタビュアーになる☆
次男くんの夏休みの宿題に調べ学習がありました。
テーマは「戦時中の人々の生活について」。
夏休み中に、資料集めをしなくてはいけない。
というわけで、昨日、図書館に本を借りに行く予定でした。
家を出るときになって、図書カードがない。と言い出し、
私も「一緒に着いて行く」と言ったら、
「激おこのママと一緒には行きたくない。」と拒否られた。
「どうするつもりだ」と聞いたら、
「社会の資料集でいい」と言う。
はぁあああ???
またテキトーに済ませようとしやがって
宿題の説明用紙には、資料集めやインタビューと書いてある。
数年前に、義父の田舎に家族で行ったときに、
義父の姉の家に少しだけお邪魔させていただく機会があり、
その時に、戦争中の話をしてくれたことがずっと心に残っていた。
せっかくの機会だからと、義父に聞いてみたら、
OKがもらえた。
まず、電話をする前に、何を聞くか、次男くんと話し合った。
聞きたいこと。
・何を食べていたか。
・娯楽は何か。
・心に残っていることは何か。
突然の電話にも関わらず、
一度会った日のことを覚えてくれていて、
次男くんの質問にも優しく、丁寧に答えてくれた。
現在、91歳のおばあちゃん。
当時は、15~6歳の頃の話です。
・戦争中、何を食べていたか。
食べるものはあまりなく、ご飯だけが頼りだったが、
兄弟が7人と多かったので、お腹いっぱい食べた記憶はない。
お米に、芋や麦などを混ぜて、かさ増しして食べていた。
・娯楽は何か。
娯楽は、なかった。
ひっきりなしにサイレンが鳴るので、
どこの家にも学校にも穴や防空壕があり、
サイレンが鳴ると、その中に隠れていた。
大豆を持ち込んで食べたりしていた。
当時、3~4才だったじいじを抱っこして穴の中に隠れて、
ドドドっという銃弾の音に泣きそうになる弟を
泣くと敵に聞こえるからと言われていたので、
「泣きなさんな、泣きなさんな」と言いながら、さすってあやしていた。
・心に残っていることは何か。
汽車で通学していて、ホームで待っている間にサイレンが鳴っても、
ホームには隠れる場所がなく、
溝に頭を伏せて隠れたりしていた。
ある時、ホームで待っているときにサイレンが鳴り、
汽車が来たので、みんな我先に汽車に乗ろうとしていたのだが、
同級生がまだ汽車が止まってないのに汽車につかまって乗ろうとして、
汽車が止まった衝撃で車両に挟まって、お腹が真っ二つに裂けて死んでしまったこと。
当時16歳だった旅館の息子さんと薬局の息子さんが、
トンネルの前で敵と銃撃戦になって、
撃たれて即死してしまったこと。
本当に貴重なお話を聞かせて頂きました。
私自身、戦争は遠い昔のことと、どこかよその世界の話だと思っていました。
でも、実際に体験した人の話を聞くと、
まだ15~6歳の女の子がこんなにも非情でむごい体験をしていたのだと思うと、
衝撃で、胸が痛んで、涙が出てきました。
次男くんも、衝撃を受けていました。
銃撃戦で亡くなった二人の青年は、長男くんと同い年です。
想像できる?
・・できないよね。。
二人で絶句状態でした。
何の罪もない未来ある人の命を無残に奪ってしまう戦争。
こんなにむごいことがあっていいわけがない。
戦争は絶対にしてはいけない。
強く思いました。
その後、用紙に要点をまとめ、
お話をしてくれた大叔母さんに手紙を書きました。
次男くんは、見たこともないきれいな字でお手紙を書いていました。
(写真に撮ろうと思ったのに、忘れた!!大失態!)
お礼の品も贈りました。
セット商品 共楽堂 旬果瞬菓 ひとつぶのマスカット (6個入) + 国産あられ2袋
おいしくて大好きな旬果瞬菓のマスカット、ご老人にも優しいかなと思って。
いつまでもお元気でいてほしいです。
そして、貴重なお話を聞いて、次男くんも今の日常がどれだけ恵まれているか、幸せなことか、
改めて考え直し、感謝し、今後の礎となってくれたらと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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