安岡正篤一日一言8 5月13日 母
明治初期に、儒者としてもクリスチャンとしても、
又教育家文学者として典型的な君子人、中村敬宇に
「母」と題する名文がある。
「一母有り。四才児を携えて一牧師に問うて曰く、
子を教うるは何才を以て始めと為すかと。牧師對えて曰く、
汝の笑顔の光、小児を照せしより、子を教うるの機會始まると、
鳴呼、世、固(もと)より此の母の機會を失う如き者多し。
今世の人、口を開けば聊ち文明と曰い、
而してその本原に昧(くら)し、余嘗って謂う、
国政は家訓にもとづき、家訓の善悪は則ち、その母にかかわる。
母の心情、意見、教法、礼儀は其の子他日の心情、意見、教法、礼儀なり。
斯(ここ)に知る、一国の文明は、その母の文明に本づくことを。」
税理士 内田麻由子のブログ
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春宵一刻直千金(蘇軾『春夜』)
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童謡「とんぼのめがね」歌詞ひらがな
椰子の実(やしのみ)歌詞ひらがな‥名も知らぬ♪
くもり日の影としなれぬ我なれば目にこそ見えね‥散り椿
*安岡 正篤 おすすめの本(名言集):一日一言
六中観 [正篤 ]
忙中 閑有り。 苦中 楽有り。
死中 活有り。 壺中 天有り。
意中 人有り。 腹中 書有り。
甲寅正月 無以会同人 敬しんで呈す
亀井老契 座右
「私は平生窃(ひそ)かに此の観をなして、
如何なる場合も決して絶望したり、 仕事に負けたり、屈託したり、
精神的空虚に陥らないように心がけている。」と。
安岡 正篤(やすおか まさひろ)
1898年(明治31年)2月13日-1983年(昭和58年)12月13日)
陽明学者・思想家。
安岡には政界だけでなく、財界にも多くの心酔者がおり、
三菱グループ・近鉄グループ・住友グループ・東京電力など
多くの財界人をも指南していたとされる。
終戦時、昭和天皇自身によるラジオ放送の終戦の詔書発表(玉音放送)に加筆し
原稿を完成させたことから皇室からも厚い信頼を受けていた。
数々の伝説を残し、政界・財界・皇室までもが安岡を頼りにしていたことから
「昭和最大の黒幕」と評される。
安岡正篤一日一言 心を養い、生を養う
⇒
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人物を修める [ 安岡正篤 ]
・成功とは、情熱を失わずに失敗を重ね続けることである
・面白き事もなき世を面白く すみなすものは心なりけり
‥