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カテゴリ:講演/シンポジウム
『Metahistory』で知られるヘイドン・ホワイトの講演。
感想は、基本的にずっと同じことを言い続けているんだな、ということ。 ヘイドン・ホワイトの主張は、端的に言えば、客観的な科学をめざした19世紀以降の歴史学を批判して、それ以前に存在した、文学的な歴史を再評価しようというもの。 今回の講演では、まずhistorical pastとpractical pastという二分法を提起し、19世紀以降の科学的歴史学ではhistorical pastという事実に関わる過去のみが取り上げられ、practical pastが捨象されているという論点を提起する。 この二分法に関してホワイトが強調していたのが、practical pastのpracticalはusefulという功利主義的な意味ではなく、アリストテレスやカントにおける実践倫理という意味であり、現在の実践倫理と結びついた実践的な過去であるということ。 つまり、かつて歴史は現代の倫理的な目的(「我々は何をすべきか?」)と密接に結びついた実践だったが、客観的な歴史を探究するという歴史学の科学化によって、実践倫理と切り離されてしまっているというのだ。 ホワイトの主張は、 まず第一に、「我々は何をすべきか」という倫理的な目的を探求するために歴史を探究するという実践を行うべきだ ということであり、 第二に、実践的な歴史のためには、レトリックを駆使する文学的な歴史記述を再評価し、文学的想像力を働かせて過去を捉えるべきだ ということである。 一点、気になったのがお決まりのホロコースト問題と絡めた質問に対して、ホワイトがethicsとmoralityの違いという論点を提起していたこと。僕の理解では、moralityが社会的なものであるのに対して、ethicsというのは異なる道徳律(moral codes)を(超越的に)判断するものだということ。カントの倫理学に拠っているという気もするが、倫理と美を結びつけていたので僕が思い起こしたのはG・E・ムーア。この点についてはよくわからないので、機会があれば探究してみたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.11.30 22:13:11
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