加曽利貝塚・加曽利貝塚博物館 (2022年12月)
今日は”災害級の暑さ”とかで、我が街では「39,1度」を観測し、今年の全国最高気温を更新したそうですさきほど買い物のため外出した夫によると「熱風が吹き付けてきて、もの凄い暑さ」だったとか。危険ですねー『燻製』になっちゃいそうなので今日は外出を控えてエアコン三昧で過ごしましょ今日は昨年末の縄文旅を千葉への一泊旅行はこれまで2回。初回は 2022年12月 2度目は 2023年2月 国立歴史民俗博物館 千葉美術館 初回の遠征の「加曽利貝塚」「千葉県埋蔵文化財センター」、2度目遠征の「市原歴史博物館」も未アップのままです💦縄文スポットへ行くと、写真の枚数がハンパない数になってしまうため、整理が億劫(コラ)で、ついつい後回しにしちゃうもので~もはや記憶も薄れてしまってるので、画像メインで失礼しますm(__)m加曽利貝塚日本最大級の縄文時代の貝塚および環状集落の遺跡である。直径140mのドーナツ形をした縄文時代中期の北貝塚と、長径190mで馬のひづめ形をした縄文時代後期の南貝塚から成り、隣接する両者を上空から見ると8字形をしている。貝塚のまわりには、当時の人々がくらしたムラの跡が広がっており、学史上でも著名な標式遺跡としても知られる。国の特別史跡に指定され、加曽利貝塚縄文遺跡公園として親しまれています。北貝塚E地点の土器は、縄文中期後半の加曽利E式、南貝塚のB地点の土器は、縄文後期後半の加曽利B式として編年の指標となる土器と位置づけられている。(加曽利貝塚博物館HPとウィキより抜粋^^) 知らなかったんですが、千葉市って貝塚数が日本一なんだとか!日本国内の縄文時代の貝塚は約2,400ヶ所といわれているうち、約120ヶ所が千葉市内に集中してるんだそうです。約7,000年前に縄文人が住み始め、巨大な貝塚の形成が始まったのは、今から約5,000年前の縄文時代中期(北貝塚)で、貝塚が最も大型になったのは今から約4,000年前の縄文時代後期(南貝塚)とされています。公園内を歩くと、いたるところで貝殻と思しきものが転がっていたんですが・・園内ではいっさい採取禁止となってました ↑公園内の「階層断面観覧施設」貝塚って、ともすれば「ゴミ捨て場」というふうにとらえられがちですが、最新の研究からは「リサイクルの拠点だった」という観点が注目されているようです。貝塚の骨をリサイクルして釣り針や装飾品に加工したり、貝殻をリサイクルして「魚のうろこ取り」に使ったり、貝殻をセメントのような建築資材に加工して住居の塗装に使った跡も見つかってるんだとか貝塚は有用な資源をためておく「倉庫」のような場所だったのかもしれませんねーおまけに初期の貝塚の貝は大小さまざまな大きさだったのに、後期になると一定の大きさに揃っているんだとか。つまり、小さな貝を採り過ぎてしまうと後で困ってしまうことに気づいて、大きな貝だけを採るようになった可能性、つまり今でいう「SDGs・資源管理」縄文人、素晴らしい~👏👏 ↑貝塚で見つかった人骨のなかには、足に障害のある人もいたようです。つまり、お互いを支えあう「共生」の意識があったのかもしれませんよね?公園内の加曽利貝塚博物館には多種多彩な土器がズラリと並び、大迫力でした ↑加曽利貝塚博物館 なにやら工事中でゴチャゴチャしてました💦でも、たぶん今頃は完成して綺麗になってるかも?^^入り口には加曽利貝塚のPRキャラクター「かそりーぬ」くんがお出迎え 加曽利E式土器を頭にかぶって、イボキサゴ(加曽利貝塚でたくさん出土する貝)の首飾りをつけています ↑加曽利B3式アワビ形土器 ↑加曽利B3式異形台付土器 もちろん土偶もたくさ~ん! ↑この「土偶の変遷」図がとても分かりやすくて納得でした縄文時代に2千年にわたり人々が住み続けた加曽利貝塚遺跡。さすが、見どころ満載でワクワクの半日を過ごせました加曽利貝塚