4歳
僕の家は、17号国道沿いにある。ひっきりなしに車が通り過ぎていく。4歳の僕は、国道を越えて少し歩いたところにある従兄弟の家へ遊びに行くのが日課になっている。しかも、従兄弟の家の少し手前に、駄菓子屋がある。ここによるのも予定に入っている。しかし、信号も、歩道橋も無い時代である。一人で、国道を横断することが出来ず、母に、手を引いてもらい、渡る事にしている。母は、渡り終わると、”気をつけていくんだよ”といって、国道を越えたところで、僕の手を離し、帰っていく。そこからは、僕の一人旅なのだ。駄菓子屋に寄り、5円の酢昆布とやはり5円の、ふ菓子を手に入れ意気揚々と、従兄弟の家に行く。帰りは、国道まで来ると、道の向こうの我が家に向って、”かあちゃ~~ん”と、叫ぶ。一度では、なかなかきづいてもらえず、何度も何度も叫ぶ。やっと気が付いた母は、こちら側まで、僕を迎えに来る。こうして僕は、安全に、国道17号の向こうに有る従兄弟のうちへ行き来することが出来るのだ。ある日、僕は考えた。母の手を煩わせることなく、国道を渡りきることは出来ないものか。左右の確認をすればすむというわけには行かない。子供の視線の高さは、距離感を確認するには低すぎる。車のスピードも、自分の判断能力を超えている。突然、凄いアイディアが浮かんだ。完璧な判断だ。合理的で、論理的だ。そのアイディアとは、他の大人が、渡るときに合わせて自分も渡るというものだった。こちらから渡る人がいれば、その人と一緒にわたり、都合良くそんな人がいなければ、向こうから渡る人に合わせてこちらからわたる。完璧だ。思い立ったが吉日。すぐに試さなければならない。運が悪ければ、この日が、僕の命日になっていたはずだが、多分僕は、この時に、人生を生き抜く強運を、神から授かったのだ。(神は信じないけど)都合悪く、こちらから渡る人はいない。暫く待つと、向こう側から渡る人が現れた。その人が一歩を踏み出すタイミングを僕は見逃さなかった。僕の意識は、その人の挙動に集中していたのだ。ぴたりとあわせて第一歩を、僕は、国道17号に踏み出したのだ。次の瞬間、目の前に、星がひかり、右腕と、左側頭部に激痛が走った。僕には何がおきたのかわからなかった。音も無く走り寄った自転車に跳ね飛ばされたのだった。普通なら、こんな経験をすれば、自己責任における自己判断というやつに、恐怖心を持ってしまい、自己決定できない人間になっていくのだろうが、なぜか、僕は違っていた。その後も、自分で思いついてしまった合理的で論理的な、大失敗を、今日まで、続けているのだ。なんという強運なのだろう。