今日、気が付いたこと
今日、車の運転中に歩道を歩いている学校帰りの小学生を見ました2年生ぐらいでしょうかかわいい女の子で赤いランドセルを背負って手に布袋を持って、道端の植え込みの葉をちぎって何かしています僕が子供のころは、誰でも草笛を吹くことができて吹き鳴らしながら学校から帰った覚えがありますその子が気になってよく見ると目から大粒の涙を流していました足取りもすすまず、家に帰りたくないような感じですただそれだけで、胸が締め付けられるような悲しみと哀れみに似た感情が去来しましたが それは自分の経験からくる、人間の哀れれを彼女の中に見たからです以前書いたことですが人の気持ちが解るとその人の痛みまで感じてしまい自分の痛みと その人の痛みで2倍つらい思いをする僕にはそんな経験がたくさんあってつらいことから逃げる為にできるだけ人の気持ちを、理解しないように勤めてきましたそうすることで、自分を守ってきたのですでも、それはあまりいいやり方ではありません何かいい方法がないものか多分20年以上の課題であったような気がしますそれが、今日その女の子の泣き顔を見たときに解決するような気がしたんです自分の痛みや失敗や、他人の痛みや悲しみを全て受け入れた上での、幸福感を感じるための心構えをなぜ、こんな簡単なことに気が付かなかったのか車のウインドウ越しに、その子を見て『かわいそうに、何があったのだろう』と感じた後で僕の顔は、たぶん ニヤリニヤリは表現が悪いな 二コリ(でいいか)としたはずです人は、生まれてそして、死んで行きます生きている時間の中で喜びも悲しみも、感じたこと全てが、自分の得たものだもしかしたら自分だけが感じたオリジナルの貴重な体験かもしれないそれなら”ラッキー”っと思えそうだ悲しみや苦しみも、生きているからこそ味わえるその経験は、必ず自分の為になる気づくのが遅いこんなこと50過ぎるまで気が付かなかったもしかしたら何度も気が付いて何度も忘れていたのかもしれないけれど・・・