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加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

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August 24, 2006
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 今日からインスブルックに戻って2泊。26日から始まる「続バッハへの旅」をひかえて、ちょっとした夏休み?とはいっても、オペラとコンサートには取材をかねて通うので、どこまで休みでどこまで仕事か???まあ、仕事じたいがそうなのだけれど。

 今夜は州立劇場で、モーツアルト初期のオペラ「牧人の王」を見た。モネ劇場のプロダクションで、若手歌手が中心。指揮もこれが指揮デビューのアレッサンドロ・マルキで、フレッシュな布陣。個人的には歌手などぱらつきがあったが、満員の聴衆は大喝采を送っていた。

 ところで、インスブルックに昔々、留学していたことは書いたけれど、当時の最大の思い出は、旧東独のひとたちとの交流である。
 バッハのお勉強をしていたので、資料のあるライプツィヒにインスブルックから通っていたのだが、当時はまだ東独時代。ベルリンの壁が崩れるちょっと前で、まだまだ「壁」がなくなるなんて誰も想像していない時代だった。
 東独のひとたちの最大の不満は、自由、とくに移動の自由がないことだったから、西側から(ビザには多少手間取ったが)、らくらくとやってくる私なんぞは憎まれてもしかたなかったが、とても暖かく接してくれた。
 何か恩返しがしたい、と思ったとき、世話になった同年輩の青年が、鍵盤楽器を勉強していて、インスブルック音楽祭のチェンバロ・セミナーを担当している教授の名前を出し、彼のセミナー
いきたいと言い出したのである。
 東独のひとには、西側に出るビザなどめったなことでは下りなかったから、とても無理だ、と思ったのだけれど、私の住んでいる町である。連絡先を調べて教えた。1989年、「壁」崩壊の半年くらい前のことである。
 そのころちょうど、旧東独からハンガリーやオーストリア経由で、亡命するひとが増えていたので、私も彼もはっきりいって希望はそうなかったのだが、それでも彼は、セミナーを理由にオーストリアへ行きたいとビザを申請した。
 案の上、待てど暮らせどビザはこない。
 セミナーの開催も迫り、あきらめかけたころ、彼から電話があったのだ。
 「ビザが下りたんだよ!」
 ほんと、信じられなかった。
 ベルリンの壁が崩れたのはその3ヶ月くらい後だったから、旧東独体制が中から崩れてきていて、ゆるんできていた時だったのかも知れない。

 ちょうど夏休みで、私は日本にかえることになっていた。旧東独のお金など西側ではほとんど価値がなかったから、オーストリアでの滞在は彼にとって経済的には負担だった。そこで私は、日本帰国中に空きになるアパートの私の部屋を彼に使ってもらうことにしたのだ。彼はとても喜んでくれたし、私が世話になった彼の両親も同様だった。
 そして私は、不自由な国から自由な空気を吸いに出てくるひとの手伝いができたような気がして、ちょっぴり誇らしい(今にしてみればおかしな話だが)気分になったのである。

 今ではもう昔話だが、そんな時代もありました。





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最終更新日  September 10, 2006 03:40:14 PM


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