カテゴリ:日常のあれこれ
それでも一歩ずつ、被災しなかった私たちは、日常に戻っていくのだと思います。
「そうしなければならない」とか「不人情で浅ましい」とか、そういうことではなく、とにかく日常に戻ってしまわずにはいられないのです。私たち、生きている人間というものは。 いつまでも、身も心もつめたくなるような寒さが遠ざかってくれない日々ですが、ベランダのクスノキは、避けようもなくやってくる春を迎えて芽吹いています。 このクスノキが宿したアオスジアゲハのサナギ・ムクちゃんは無事に(かなあ?)我が家で冬を過ごしました。何カ月も変わらぬ姿のまま、ジャコウアゲハのくーちゃんと共に4月を迎えましたが、どちらも、もうそろそろ羽化の頃合いをうかがっているはず。 昨日は、休んで弘明寺まで散歩。まだちょっと早いけど、大岡川沿いのサクラがほころんでいました。 「阪神」の記憶が薄れるまもなく、邪悪な神が私たちを試すかのように仕掛けてきた大災厄。 当事者でなければ、その途方もない喪失感、無力感、様々な感情は、やっぱりわからないのです。 哀しく、浅ましいことだけれど、それこそが、実は明日をも知れない不安定な基盤なのに、当の私たちだけは「今日と同じような明日が来ることは盤石だ」と信じて、切なく生きていかれる根拠なのです。 このような痛切な春が巡ってこようとは、思ってもいませんでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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