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カテゴリ:茶木の音楽紀行
大学院を終了するころになって、急にぱったりと声が出なくなった。
最初かすれたような音色が声の中に混じるようになり、そのうち高音が全く出なくな り、そのうち一曲も通して歌えなくなった。 そのころには多くのコンサートの依頼があり、自分を売り出すためにも失敗は許され なかった。 でもすべての演奏会は散々な結果で、耳鼻科に行っても原因は分からなかった。 僕はひどく落ち込み、少しずつ不眠が始まり、耳鳴りがして、精神的にとても不安定 になっていった。 自律神経失調症だった。 でも病院に行っても精神安定剤を出すぐらいで打つ手はないようで、自分との戦いだ った。 ぶらりと一人で何処かへ行ってみたり、新しいことを始めたりして、できるだけ音楽 から離れてみようとしたが、頭はどうしてもそこから離れようとはしなかった。 とても辛かった、これは本当の精神病を患っている人はどんなに辛いものだろうと思 った。 とても孤独な自分との戦い、誰も理解してはくれない。 それまで踏み切れなかった留学を実行するしかなかった。 それは留学なんてかっこいいものではなく、日本から、今の生活から逃げ出すという 風で、僕は全く語学が出来ないまま以前からの夢であったドイツへの留学を決意した 。 しかし向こうに行って、自分にあった良い先生に出会うのはとても難しく、闇雲に言 葉の通じない知らない国に行ってもしかたがないので、大学院の時の一人の先生が時 々家にドイツから先生を呼んで公開レッスンを行っておられたのを思い出し、面識は 無かったが、電話をかけて、相談してみた。 その時たまたま先生のドイツに住んでいる娘さんが帰って来ていて、電話口に出て来 て、「始めまして」と言った。 彼女は僕より一回りほど年上の女性で、歌を勉強するためドイツに渡り、ドイツ人と 結婚して、10年以上向こうで暮らしていた。 「ケルンに来ればお世話できますよ」と言ってくれたので、寄せてもらうことにした 。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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