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・10.20.月
今、四回目に聞いている「海辺のカフカ」のMDで、大島さんが言う。 「人が運命を選ぶのではなく、運命が人を選ぶ。 それがギリシャ悲劇の根本の世界感であり、人は自分の短所ではなく、長所によってその運命なる悲劇に引き摺りこまれて行く。 しかしアイロニーから人は大きくなり、更なる普遍的な希望を手に入れる。 だからこそ今でもギリシャ悲劇は人々の心を引き付ける芸術として存在し続ける。」 それは僕も漠然と感じていたことである。 「いや、運命は自分で切り開くものだ」と周りの誰もが主張するが、結局我々は、前もって決められた運命を辿っているに過ぎない。 そこから逃れようともがけばもがくほどややこしい所に引き摺りこまれる。 でも与えられた運命の容器の中で、身を任せて生きることは簡単なことではない。 我々は、様々な欲と関係性というやっかいなものを持って暮らしているのだ。 「ゲーテが言っているように、この世の万物はメタファーだ」と大島さんは繰り返す。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.10.21 08:58:08
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