もういいよ・No2
「後ろの少年だーれ・No1」「後ろの少年だーれ・No2」「もういいよ・No1」 の続きのようなお話しです。 『もういいよ・・・』。 ただ、そう言われた。 ずっと、ずっと声は続く。 『もういいよ・・・』って。 ただ、ただ、それを繰り返されるだけ。 かごめ、かごめ、かごの中の鳥はいついつでやる、夜明けの晩に、鶴と亀がすーべった、後ろの少年だーれ・・・っていう有名な歌がある。 ちまたでは、アセンションの例えだとかして紹介されている例なんかも多々ある。 わたしの今までのこれらのビジョンもこの「かごめ」の歌か、子供のころやった「かくれんぼ」そのものが背景にあるものだと思う(本人はただ見ているだけだが)。 一説ではいわゆるマヤ暦の終わり、2012年の12月末くらいに(つまり今年の末くらいに)地球を覆っているある種の制限のグリッドが人類の集合意識の同意の上で外され、宇宙連合とコンタクトを取りたい人は自由に取れるようになるという話しもある(ダリル・アンカさんのチャネリングするバシャール情報)。 それは、それとして、でも、この『もういいよ・・・』って繰り返す声と共に私が感じたのは・・・。 もうかごを出ているビジョン、て言うか、もうかごが無いし、そもそも最初から無かったんじゃないか? て、いうビジョン。 バーって青白く光って格子模様で世界を取り巻いていたグリッドが(それはある種の保護機能の役割も兼ねていたようだったけど)、ただ単に錯覚でそう思わしていただけの幻影んじゃないの?って感じのビジョン。 で・・・自由。 言っちゃ何だけど、自由。 限りなく、自由。 そして見渡せば、自由になった鳥は、自分が育った、汚れきったぐちゃぐちゃな巣を見る。 そりゃそうだ、卵から孵って、飛べるまで育って、かごに覆われた狭い世界の中で、そこしかないと思い込んで、長い年月ずっと暮らしていた巣なのだから。 「飛ぶ鳥、跡を濁さず」の例えじゃないけど、「綺麗にしなきゃなぁ・・・」という感慨を抱く。 もうすぐ飛びだってしまう、二度と帰らないだろう古巣であっても、いや、だからこそか? 「綺麗にして、整理整頓して、後片付けして、旅立たなきゃなぁ・・・」って。 どこに? 知らない。 でも、そう感じるだけ。 『もういいよ・・・』って、声は続いている・・・ずっと・・・続いている。 『もういいよ・・・』って・・・。