パラレルワールドの移行・No4
「パラレルワールドの移行・No3」の続きです。 さて、前回の例で述べたようにA地点からB地点への移行中になぜずれていってしまう人が多いのか? そして、その対策を話していってみようと思います。 でもその前に、パラレルワールドの仕組みの前提条件の色々なことはすでにいくつも述べたと思いますが、ここでも一つ大事なことをお話ししておきましょう。 普通の人の感覚では理解しがたいことかもしれませんが・・・。 それはですね、元々、宇宙の根本的な仕組みにおいては(原点の部分においては)「願ったらそれがかなう」その方が普通なんです。 そっちの方が当たり前なんです。 ところがですね、我々の住んでいるこの地球という物質次元の星、そして我々人類という種族においては、よくこういうことが発生します。 「現実はそんなに甘くなかった」。 「世の中は汚いものだった」。 「お前なんかになれるはずが無い」。 「身の程知らずだったな」。 エトセトラ、エトセトラ、枚挙に暇が無いでしょう。 何でそんなことになってしまうのでしょうか? 少し詳しく説明してみましょう。 でもとても説明しにくい部分でもあるので、例えで説明してみましょう。 実は例えといっても、これは事実でもあるのですが。 あなたが神の様な存在だとしてみてください。 宇宙の高次元超ド級精神生命体でも何でもいいです。 そんな存在で、思いつくことは何でも実現し、体験し、また虚無の中に溶かしいれ、次の体験を創造していたような精神だけの存在だと。 SFみたいですが、それがもっと原初の時の我々のような存在たちのやっていたゲームでした。 それでですね、どこかでそのやり方の限界を感じ、別のゲームをやってみたくなったんですよ。 何で? 何でも自由に出来るならそれに越したことないじゃないとか思われる人も多いでしょう。 ある意味ではその通りだと思います。 でも、そんな身に本当になってみたら、そのやり方では経験できないこともにも気が付かれる人も多いはずです。 まず、一つ一つの努力とか、プロセスを踏むという経験が出来ないんです。 そしてそこから得られる達成感も、逆に挫折感も無いんです。 また、意表をついた体験とか、未知から得られることとか、初めて知ることとかがほとんど無いんです。 実際にはちょっと違います。 我々が普通に考えるのとは別の仕組みで、新たなことは意識の中に流れ込んできていたりしていましたから。 でもわかりやすく一面を強調して言っています。 この時代、制限というものがほとんど無かったことに思いを馳せてみて下さい。 実際、物質次元というものすら無かったんです。 この高次元の体験だけでは満たされぬものがあることに気が付いた意識の側面がありました。 そして新たなフィールドを創りだすことにしたのです。 最初は手探りだったと思います。 何度も何度も試行錯誤を重ねたあげく、その仕組みは完成の度合いを上げていきました。 より意識を分断化させ、制限を組み合わせ、不自由なフィールドを創りだす。 そこで体験を重ね、経験とそこから得られるものという宝を持ち帰るか・・・というゲーム。 一時的に自分達をとても不自由なフィールドに置き、いわば記憶喪失の神となって、傷つきやすく、移ろいやすく、いずれは死す、人という物質次元の生き物となって生きるということ。 人となって初めてわかることもあるのです。 人となって初めて知る価値があるのです。 例えば他人の手のぬくもりの価値など、超ド級精神生命体にはよくわかりません。 それは人ゆえの特権です。 この世で人として生きるが故に、初めて実感する価値なのです。 生きるということ自体が、人生というもの自体が、至上の宝であると考えられたことはあるでしょうか? でもそれが真実なのです。 じゃあ、願いはかなわないのでしょうか? あるいはとてもかないにくいのか? 願いにもよりますが、いいえ、それも違います。 道はあります。 と、言うのもこの制限に満ちた世界を創り上げていると言っても、その仕組み自体は、やはり宇宙の構造を使っているからなのです(それ以外の方法を取りようも無いので)。 逆説的ですが、思ったらすでにかなっているという仕組みをこねくり回して創ってあるからです。 ただ、現時点での人類の状況では、多くの人がやはりプロセスは踏まなくてはならないことが多いとは思います。 でも、その点さえ踏まえれば、まずほとんどの願いはかなえることが出来ます(いくつかのケースの例外はあります。その例外もこのシリーズの最後の方で記述しておく予定です)。 我々がA地点からB地点にパラレルワールドを移行する時、実は何が起きているのか、次回からそこを説明してみましょう。 <続く>