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小田急線開通90年(4)
小田急線の歴史4 History 4 of Odakyu Line 地下鉄千代田線と相互乗入れ 戦後10年を経過した1955年頃から東京では都心へ通勤・通学する人が増えて電車の混雑度が増し、道路は自動車が増えて都電の運行に支障が出るようになったため、都市交通審議会は1962年に都心を中心とする10路線の地下鉄の建設について答申を出しました。この中に小田急線の喜多見から原宿、永田町、日比谷、池之端、日暮里を経て常磐線の松戸に至る路線がありました。これが現在の東京地下鉄株式会社(東京メトロ)の千代田線の計画路線で、その後、千代田線は代々木上原まで建設することとし、代々木上原-喜多見間は小田急線の複々線化による路線とすることに計画が変更され、小田急線の電車と千代田線の電車が相互乗入れすることになりました。 千代田線は1969年に北千住-大手町間、1971年に大手町-霞が関間が開通しました。1972年には小田急線の代々木八幡に近い代々木公園までが開通し、乗換えができるようになりました。 小田急線と千代田線の乗入れ工事は1972年に着工され、1978年に完成しました。これにより代々木上原駅は高架駅となり、同一ホームで乗換えができるようになりました。当初の乗入れ電車は平日の1日14往復だけでしたが、千代田線の電車は当初は準急として本厚木まで乗入れ、当時は塗装の電車だけだった小田急線に乗入れた千代田線の銀色の電車は大いに注目されました。 千代田線の代々木上原接続により新宿駅の1日平均乗降客数はそれまでの49万人から46万人に減少しましたが、1988年には53万人と以前の乗降客数を上回りました。 北千住駅を過ぎて地上に出た小田急電車の綾瀬行き10輌編成 Ten formation for Ayase of the Odakyu train which passed Kitasenju, and appeared on the ground(1979年撮影(北千住-綾瀬)) 小田急線を走る千代田線電車の準急本厚木行き10輌編成 Ten Chiyoda Line train (to Hon-Atsugi of the semi-express) formation to run through Odakyu Line(1978年撮影(経堂)) 複々線化へ 急行が10輌編成になった1977年に新宿駅の1日平均乗降客数は49万人でしたが、千代田線が接続した後の1980年には新宿駅と代々木上原駅を合わせ、59万人に増加しました。新宿駅のさらなるホームの延伸は付近に踏切があって不可能であり、地下鉄千代田線の各駅のホームの延伸も困難であるため、抜本的な輸送力の改善には複々線化が必要になってきました。 1989年に喜多見~和泉多摩川間2.4kmの高架複々線工事が着工され1997年に完成しました。1994年には梅ヶ丘~喜多見間6.4kmの複々線工事が着工され2004年に完成し、成城学園前駅付近が地下化され、それ以外の区間は高架化されました。また、2004年に東北沢~梅ヶ丘間2.1kmが着工され、2018年3月までの完成を目指して工事が行なわれています。 東北沢~和泉多摩川の複々線化が完成すれば平日朝の1時間当たりの電車は現在の27本から36本へ増加し、混雑率が現在の189%から160%程度に改善されるそうです。また、平日朝の所要時間は例えば登戸~新宿が現在の23分から18分に、町田~新宿が現在の48分から38分に短縮されるそうです。 複々線化が完成した区間 The section where becoming it finished the quadruple track(2012年撮影(経堂-千歳船橋)) (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.01.01 18:25:27
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