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2017.06.03
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小田急線開通90年(9)
 「夢みる人」小原国芳が夢みた全人教育の理想郷

「関東大震災のあった1923年(大正12年)、中年の紳士がぶらりとやってきて『このあたりに学園をつくりたいが知り合いは一人もいない。どこがいいだろうか』と土地の人に尋ねた。『あの高台はどうだろう』と案内を受けて決めたのが成城学園の地であるという。
 この紳士は、当時、牛込の成城小学校の教育主事であった小原国芳氏で、全人教育の理想を掲げ、成城学校から分離、成城学園の園長となり、やがて玉川学園をも開校した教育者である。」 … これは小田急沿線のガイドブック「小田急線各駅停車」の成城学園前駅の項に書かれた一節です。

 小原国芳 (おばら くによし)(1887-1977)は鹿児島県で7人兄弟の3番目に生まれました。10歳の時に母を、12歳の時に父をいずれも病気で亡くし、叔母の世話になりながら長兄と2番目の兄の収入によって暮らしました。小学校を卒業したのち中学校に入学を望むも経済的事情で行けず、15歳の時に、給料が出る電信学校に入学。卒業後、鹿児島郵便局電信課に電信技手として5年勤務。その後、広島高等師範学校で学んだのち香川師範学校教諭を2年務め、京都大学哲学科に入学し教育学を専攻。卒業後、広島高等師範学校教諭に着任すると、教育を根本から問い直し、自由教育思想を展開、1年半後の1919年(大正8年)、当時東京・牛込区(現在の新宿区)にあった成城小学校の校長、沢柳政太郎氏からの招聘で同校の主事となりました。

 1923年に起こった関東大震災を機に郊外に新しい総合学園を建設することになり、小田急線敷設の情報を得ていた小原国芳は前述の通り、建設地を現在の東京都世田谷区成城に定めました。小原国芳は2万坪(6万6100㎡)の土地を買収し、区画整理をして住宅地として売出し、学園の建設資金に充てました。そして、1925年(大正14年)に成城第ニ中学校が移転し、その後間もなく成城玉川小学校が開校し、1926年に高等学校が開校しました。1927年に小田急線が開通するまでは京王線の千歳烏山駅と学校の間約4kmをクラシックなスクールバスが往復したそうです。

「成城」の名の由来は中国の詩経にある「哲夫城を成し(てっぷしろをなし)…」によるそうです。これは「賢明な男子は諸侯(封土の君主)になる…」という意味です。なお、1928年まで牛込に成城小学校が存続したため、世田谷に開校した小学校を「成城玉川小学校」と名づけました。「玉川」の名は多摩川に近く、流域には「玉川」という地域も存在するため、画数の少ない名を採用したということです。「玉川」の名は小原国芳がのちに創立した「玉川学園」の名の由来になったと言われています。

  
   創立100周年を迎えた成城学園(左下は小田急線 2017年撮影)

 小田急線が開通した1927年よりも前、当時不毛の原野であった現在の地に数々の苦労の末、移転した成城学園ですが、小原国芳曰く、
「ところが! そこに、教育上、本質的な悲しむべき問題が潜んでいました。試験準備教育に、親も子も教師も追い込まれました。」
 当時の成城学園の状況は彼が思い描いていた教育環境とは程遠く、これが成城学園を離れて広大な新しい学園を創る動機となりました。
 小原国芳は自らが目指した全人教育について、こう述べています。
「日本教育最大の欠陥の一つは実に、入学試験準備のための甚だしき片輪教育だと思います。偏知教育、それも、知育の本質であるべき創造と工夫と発明とを忘れた棒暗記と詰込みと点数と席次と合格のための出世主義、打算主義の堕落の極でしょう。有名な学校ほど。
ゼヒとも、知情意三方面の円満なる陶冶、学問、道徳、芸術、更に、人生の奥義である宗教。更に、健康と技術、価値として、真善美聖の四絶対価値と健富二手段価値。この六つをコスモスの花の如き美しき調和、整美、秩序を持った全人境を、完全人格を熱望いたします。」

 そして、新しい学園の建設地が決まりました。その選定の経緯が次のように述べられています。
「玉川を渡って武相の丘陵地帯に、とてもなだらかな気持ちのよいスロープ。偶然、小田原までの間、3哩以上の間隔のある場所は3ヵ所。その一つ。でないと、新ステイションは認可されないし、従って土地経営は不可能なのです。鶴川、町田の両駅間が3哩6分。今の「玉川学園前駅」が丁度、まんなか。そこだけが、ふしぎに直線コース。」(注:哩=マイル、1マイル=1.6km)
 小原国芳は、ここでも学園建設のために土地を購入し、住宅地として売却しました。1929年、玉川学園前駅が開業、その1週間後、玉川学園の幼稚園、小学部、中学部が開校しました。そして1947年に玉川大学、1948年に高等部が開校し、総合学園となりました。

  
         玉川学園と玉川学園前駅(1978年撮影)

 また、1950年に通信教育部が「小学校免許状」を取得できる日本初の通信教育課程として開設され、これまでに25万人以上の学生を輩出してきました。玉川学園は出版にも尽力し、1932年(昭和7年)から刊行された30巻の分野別に編纂された「児童百科大辞典」、1951年(昭和26年)から刊行された100巻に及ぶ「玉川こども百科」、1958年から刊行された分野別に編纂された30巻の「玉川百科大辞典」などの労作を世に出しています。
 また、1951年にミツバチ研究室が開設され、スイスなどから40~50年の純粋種の女王蜂をもらって研究が始まりました。現在ではミツバチ研究センターの監修の下、地方の養蜂家が生産した蜂蜜が玉川学園前駅前の購買部で販売されています。

  
               玉川百科大辞典

 小原国芳は実に謙虚な人でした。その心構えは73歳の時に書いた自叙伝「夢みる人」で如実に示されています。それに添えられた、しおりには次のように書かれています。
「『自叙伝』などという、実に恥しいものを、厚顔にもさしあげますことをお嗤い下さいませ。お許しくださいませ。
到らない私は、校正刷りに書き加えたり、削ったり、4校、5校と苦しみました。
いろいろとお気付きのことがおありだろうと思います。どうぞ何なりと、キビシクお教え下さいませ。                     百 拝
                          小 原 国 芳」
                    (注:嗤う(わらう)=あざける)
 また、「夢みる人」の前がきには、
「『思い出の記』を幾度か書きかけてみました。何れは地獄行きの私。『懺悔録』となりましょう。少しは、いいこともしたようです。人並みはずれた苦労もいたしました。悩みもいたしました。酸いも辛いも甘いも、いろいろ嘗めました。煮え湯も飲まされました……」
 そして
「……一生を夢から夢ばかり夢みて来ました。まだまだ、これからも大きな夢を夢みましょう。孫子何十代かかっても、卒業生何千名かかっても、また、小原会員何十万人かかっても、ゼヒ、いい夢を仕上げて下さいませ。」と、ここにも氏の「到らぬ」気持ちが表わされています。

  
           小原国芳の自叙伝「夢みる人」

 小原国芳は1977年、90歳で逝去しました。その日の午後7時のNHKテレビのニュースで「玉川学園総長小原国芳氏が死去」と報じられました。

 今や玉川大学には文学部、教育学部、工学部、農学部など9学部30学科、大学院6研究科12課程と11の科学研究センターがあり、大学とは別組織の玉川学園には幼稚部、小学部、中学部、高等部があります。そして総面積は61万㎡と、成城学園の13万㎡の4倍を超える広さ。だからこそ、広い花壇あり、水田あり、果樹園あり、温室あり、牧場あり、鶏舎あり、養蜂場あり、養魚場あり …… と学生には様々な労作教育を実践する場が与えられました。また、音楽、舞踊、演劇、美術を含む芸術教育を実践するホールや展示場、人間生活の根本を成すという宗教教育を実践する礼拝堂など、小原国芳が夢みた全人教育の理想郷が実現されています。

参考図書、ウェブサイト:
「小田急線各駅停車」椿書院・1973年発行
「玉川教育1963年版」玉川大学出版部・1963年発行
「夢みる人1」玉川大学出版部・1960年発行
「夢みる人2」玉川大学出版部・1963年発行
「小原國芳全集31〔別巻〕小原教育論」玉川大学出版部・1965年発行
 玉川学園購買部HP
 公益財団法人「私立大学通信教育協会」HP

                            (つづく)





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最終更新日  2021.02.18 22:03:12
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