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小田急線と地下鉄千代田線の相互乗入れ開始40年(2)
なつかしの「砂利側線」 かつて、代々木上原駅と東北沢駅の間に側線がありました。新宿行きの電車に乗っていると、東北沢駅を過ぎた辺りから進行方向右側に側線が見え、電車の進行とともにその側線が高くなっていき、側面の石垣が視界を下から上へ広がっていきました。そして石垣が視界を完全に遮ると間もなく、その石垣が急に途切れ、視界から消えるのでした。側線が高くなっていったのは、本線は代々木上原駅に向かって下り勾配になっていたのに対し、側線は水平であったためです。この側線は多摩川や相模川の砂利を運んできた貨物列車が折返すためのもので、側線の横にホッパーがあって、そこに砂利を降ろし、そこからトラックに砂利を積んで運んで行ったそうです。この側線は1972年に撤去され、千代田線乗入れ工事で線増のための用地として使われました。 ①東北沢駅から見た側線(右側)(1972年撮影) (撮影地点は下の方にある「撮影地点図」の同じ丸囲み数字の地点です。) 上の場所の現在(左から上り特急・急行線、上り準急・各駅停車線、下り 準急・各駅停車線、下り特急・急行線。上下線の間の向こう側には千代田線 の折返し線があります。)(2018年撮影) ②線路横から見た側線(側線の向こうに見える文字は「東京コンクリート 東北沢工場」。ここは現在は塀が建っているので見ることができません。) (1971年撮影) ③側線の代々木上原駅寄りの端。ここで石垣が急に“消えた”のです。 (1971年撮影) 上の場所の現在。本線は高架化されています。(2018年撮影) 代々木上原駅ホームの西端から東北沢駅方向を望む。電車がある折返し線の 所に側線がありました。(2018年撮影) ④上りホームの西端から撮影した昔日の代々木上原駅。駅入口は現在より 約200m新宿寄りにありました。ホームの長さは現在より80m短い120m ほどでした。(1970年撮影) 上の場所の現在。線路は高架化され4線になっています。外側2線は小田 急線、内側2線は千代田線で、この先は小田急線は地表の代々木八幡駅、 千代田線は地下の代々木公園駅まで下り勾配となっています。 (2018年撮影) 撮 影 地 点 図 砂利の輸送に使われた電気機関車(上)と貨車(下)です。 (経堂にて 1969年撮影) (つづく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.01.06 20:59:08
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