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テーマ:山登りは楽しい(12158)
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先日、兜巾の岩でばったりお行き会いした、かつての上司より 写真集が送られてきました。 「雨池太郎ものがたり」です。 雨池のほとりにあるダケカンバ「雨池太郎」をテーマに、 四季折々の美しい写真と詩とで綴られています。 この写真集の中綴られていた一節です。
生きるということは、 かなしみの基盤の上に、 生の喜びを感じることなのだろうか。
この日の朝、偶然にも本棚に置いてあった本を手に取りました。 美智子さまのご講演集「橋を架ける」です。 この本の中に出てくる、新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」という話の一節を ちょうど読んだところでした。 でんでんむしはある日、自分の殻の中が悲しみがいっぱいに詰まっていることに 気づいてしまいます。 そして仲間のでんでんむしのところに行き「私の殻の中は悲しみでいっぱいだ」と 話をします。 すると仲間のでんでんむしも「私の殻もかなしみでいっぱいだよ」とこたえる。 他の仲間のところに行き、同じことを告げますが、その仲間も同じように 「私の殻の中もかなしみでいっぱいだよ」とこたえる。 そしてそのでんでんむしは、もう悲しむのをやめた、というお話です。 吉野弘さんの詩「I was born」も、ふと思い出しました。
自分がじたばたと もがいているのは、この「悲しみ」への抵抗なのかな… 秋の夜長、ちょっと立ち止まって考えてみたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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