60年代にザ・ナイス、70年代にはレフュジーで活躍したドラマー、Brian Davisonブライアン・デヴィソン氏が、2008年4月15日英国南西部デボンにて亡くなられた。死因について詳細は不明。
少年期からスキッフル・ムーブメントに乗りドラマーとして活動し、50年代末からいくつもの有名なセッションを残していたそうである。いくつかのバンドを渡り歩き、ナイス直前にはオリスト共々アタックにも所属していたそうである。
60年代後半、ナイスの初期ラインナップデビュー前に先任ドラマー事故死に伴いその代わりに加入。(下写真右端がデヴィソン)
初期のサイケデリックなポップチューンから後期のジャージーかつクラシカルな楽曲で控え目ながら堅実なプレイを披露した。
その後、エヴリウィッチウェイ名義のソロアルバムを発表、元ナイスのリー・ジャクソンのジャクソンハイツの末期に合流し、パトリック・モラーツを加えたレフュジーで名作を残している。近年この短命だったレフュジーのライブCDも公式に発売されている。
音楽シーンの表舞台から消えていた時期は、大学などで教鞭を執っていたとのことで、音楽教育者としての評価が高かったそうである。
2000年にはエマーソンらとナイスの復活ライブもファンには知られている。
今回の訃報に際し、キース・エマーソン氏も公式サイトに弔文を捧げている。
http://www.keithemerson.com/MiscPages/RememberingBrianDavison.html
謹んで御冥福をお祈りします。 R.I.P.