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年が明けて、昭和18年(1943年)1月、「伊那節仁義(いなぶしじんぎ)」という映画が封切られました。
映画は、長谷川一夫(はせがわ かずお)と山田五十鈴(やまだ いすず)という、そのころのトップスターの主演でした。でも、戦争たけなわのころに、こんな股旅(またたび)ものが、どうして上映できたのかなと思います。 山田五十鈴 長谷川一夫 (まるさんのHPより転載) また、映画の主題歌 「勘太郎月夜唄」 を、小畑 実(おばた みのる)と藤原亮子が歌って人気を呼び、この二人の歌は、前年の「湯島の白梅 (婦系図の歌)」に続くヒットになりました。 小畑 実 戦争一色の時期に、この股旅映画が上映できた理由は、二つあると私は思います。ひとつは、幕府軍に追われて逃れる水戸勤皇党(みときんのうとう)の道筋案内を、主人公・伊那の勘太郎が勤めるシーンがあること。 もうひとつは、佐伯孝夫作詞の主題歌の三番の歌詞、 菊は栄える 葵は枯れる 桑を摘むころ 逢おうじゃないか 霧に消えゆく 一本刀(いっぽんがたな) 泣いて見送る 紅つつじ の「菊は栄える 葵は枯れる」です。菊は天皇家の紋章、葵は徳川家の家紋。つまり、当局は、この歌詞を、天皇家とその軍隊・皇軍(こうぐん)が栄える言葉ととったのでしょう。 そういえば、当時の日本軍の武器・装備には、大は軍艦から小は銃一丁まで、すべて菊の紋章が付いていました。 歌謡曲 「勘太郎月夜唄」 は YouTube で聴くことができます。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 歌手・小畑実 は、朝鮮半島の平壌出身。東京へ来て、声楽を学んで歌手になりました。戦時中の 「湯島の白梅」 「勘太郎月夜唄」 で名を挙げ、戦後 「長崎のザボン売り」 「小判鮫の唄」 「星影の小径」 などのヒット曲を出しました。 その後、アメリカへ渡って実業界に入り、再び日本に帰って、歌手として活躍していましたが、ゴルフのプレー中に倒れ、昭和54年(1979年)4月、55歳で亡くなりました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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