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カテゴリ:名句と遊ぶ
暦の上ではすでに、一昨日から冬ではありますが・・・
柿くふも 今年ばかりと 思ひけり 正岡子規 秋の締めくくりは寂しい一句。 これは明治34年ですので、彼岸に至る前年の句。 子規、最後の柿を詠むことになったのです。 なんとなれば・・・ 子規の命日は明治35年の9月19日。 したがってまだ柿の季節には早すぎます。 何より、その最期は命の元なる「ヘチマの水」をも口にできぬほどに衰弱が激しかったようですから、いわんや消化の悪い柿をや。 つまり、明治35年は柿を知らずに旅立ったわけですから、明治34年に詠んだ上句の通り、子規にとっては最後の柿となったわけなのです。 食いしん坊の子規ですが、特に柿は好物中の大好物でした(^^) 代表作の 『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺』 の句は小学生でも知るほどに有名で(笑)、「柿の俳句」と呼ぶそうですから。 子規に思いを馳せながら、声に出して句を読むと・・・ 最後の柿を、しみじみと食す子規をイメージするのに難くはなく、微苦笑がこみ上げ、やがてうら寂しさに全身を覆われるのです。 そして季節は秋から冬にかわって行きました。 《おまけ》 友人の漱石も子規を意識してか柿はの句を多く詠んでいます。 柿一つ 枝に残りて 烏哉 夏目漱石 つまりは・・・ 柿はどこの家にもある安直な果物だったという事なのでしょうね。 曰く、 里古りて 柿の木持たぬ 家もなし 芭蕉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.11.12 06:28:49
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